開門拳社に入会してから10年経ちますが、この度初めて聖地である孟村を訪れることになりました。
今回の旅は6世伝人呉秀峰先生の生誕100周年、没後30周年、そして八極拳の訓練施設の落成というイベントの盛り合わせがあるということで、私たちは期待と不安を胸に日本を出発しました。
・12月28日 10年ぶりの北京
北京に到着、飛行機の外に出ると寒く感じたが思ったほどでもない。少し緊張してタラップを降り、そしてパスに乗って空港に入っていった。10年前に来たときよりも清潔に感じたが相変わらず暗かった。
空港でチェックアウトを終え、私たちを待っていたバスに乗ってホテルに向かった。そしてあっという間にホテルへ。そこでは今回の旅行を手配して頂いた周佐先生がお待ちになっていた。
「こんにちは!ご無沙汰してます!」久しぶりの再会に私も含め皆うれしそうだった。
ホテルのチェックインを済ませた後、周佐先生は大阪組を迎えに行くため空港に、私たち東京組は北京の街の観光に出かけていった。まず昼食を兼ねて王府井をぶらぶらしつつ繁華街へ。王府井の目抜き通りは賑やかで、見るもの見るものが珍しく感じ、歩いていてなかなか楽しかった。(よく見ると日本で見かけるようなものばかりだったのだが…。)
大通りから脇道に入った観光街でフラフラしつつ昼食を食べて、北京の最大名所、紫禁城へ向かう。天安門の前は観光客で一杯。そして門の中も観光客で一杯。さらに物売りも一杯いた。さすがに観光地、つまらないものを買わされないようにと気を付けているそばで仲間が、すぐさまおもちゃを買っていた…。
天安門と広場はこれといって見るものはなかったのが、あの広くて大きなところにいると、「あー、中国にいるんだなぁ…」という気持ちになり気持ちが高揚してくる。
一通り見物した後、地下鉄で王府井へ戻ると「是非みんなに行かせたい」という服部先生の意見と、「一度言ってみたい」というみんなの意見で、今度は屋台街へ向かうことに。
屋台街は屋台の兄ちゃん達が威勢よく声を出して羊肉饅頭やら、山査子の水飴、そしてヒトデ、バッタ、サソリ、終いにはサメの串刺しなんていうものもあった。「サメはやりすぎだろ、誰が食べるんだよ…」という意見でみんなが一致したところで北京の観光はおしまい。
ホテルに戻ると大阪組の渡邉先生、石田さんとは再会の、そして永野先生、渡邉先生の学生の日下さんとは初めましての挨拶を交わした。同門の方々とこうして同じ目的でお会いできたことを心からうれしく感じた。その後の夜の食事会も賑やかに楽しくおいしく過ごし、明日の孟村への気持ちを胸に抱きつつ夜が更けていった。
・12月29日 いよいよ孟村へ
さて、目覚ましを日本時間にしていたため予定よりも一時間早く起きるというお約束のボケを朝からかましつつ、8時にはチェックアウト。そそくさとみんなで市街バスに乗り込み、北京駅へ向かう。
今回の移動は周佐先生たっての希望で汽車で滄州まで移動することになっていたのだ。約15分ほどで到着した北京駅の待合室は帰省する人々で一杯。日本も3,40年前はこんな感じだろうか、と思うような光景だった。
寒い中待つこと1時間、そろそろ私たちも、と列に並び切符を切ってもらいプラットホームに入るとみんなダッシュ!ダッシュで目的の車両へ!「ウチらのチケットは指定席だけど、車内の荷台は限られているので早く座らないといけない。プラットホームに入ったら走って。」という話を事前に聞いていたのでみんな堰を切ったように走っていったのだが、荷物は重いし、なんと言っても目的の車両まで遠い!
思っていたより倍近く走り、へとへとになって席に着いた。無事荷物を荷台に載せていよいよ出発。車内は清潔で暖かく、窓も広い。皆でわいわいと車内を楽しく過ごしたため3時間の移動もあっという間だった。
目的地の滄州駅をに着くと、軽く昼食を取ってすぐさまバス乗り場へ直行。孟村行きの狭いバスに全員で乗り込み出発。あっという間の滄州だった。この孟村行きのバスは直行便なので基本的には目的地まで停まらない。が道ばたで手を挙げている人を見ると停まって乗り入れるという、半分タクシーのようなバスであった。
窮屈なバスに揺られて一時間経つと、とうとう私たちは孟村に到着!そしてそのままバスで孟村賓館に入っていった。
入り口は人で一杯でこの後のイベントに参加する方々の受付が行われていた。「ようこそ!」の挨拶もそこそこに、流されるように外のバスに乗り込み、新しく建てられたという体育館&宿舎の施設へ向かう。
街の中心から数キロ離れた、辺りには畑ばかりの場所に、「八極拳国際倍訓中心」と出ている大きな看板が見えてきた。バスを降りてその施設を見るや、何度も孟村を訪れた人達は「信じられない!」と声を上げ、初孟村の私は「へぇ!立派な体育館だ、すごい!」と感心していた。敷地内に入ると呉連枝先生の奥様や楊傑先生始め、様々な方に出迎えて頂き嬉しくなり、いよいよ気持ちが高ぶっていった。
「皆が泊まる宿舎はこっち。」という指示の元、出来たてほやほやの建物に入ると、二段ベッドが4つとテレビ、給水のミネラルウォーターとシンプルな部屋だが、暖房もあり寒さも感じられずまずまず快適に感じられた。
荷物を整理して一休みしてから、敷地内を散策。明日の式典場である体育館の中を目を丸くして歩き回り、正面の奧の大きなプレートを見て「『開門八極』かっこいい〜」、「武器が一杯、かっこいい〜」、「お〜、ゲームセンターにあるようなパンチングマシンが!おもしれ〜」、外の壁に描かれている八極小架のシルエットを見ると「しゃれてるな〜」、体育館の前のグランドにある大きな石碑を見ると「かっこいい〜」「でっけぇなぁ〜」などと、みんな感じ入っていた。
「そろそろ宴会なので、バスに乗って移動する。」の連絡を受けて宴会場の孟村賓館へ向かう。会場では、すでに人が一杯で賑やかになっていた。係員の指示の元、みんなで円卓に座って乾杯の準備をしている中、呉連枝先生がそこに現れた!いつも通りの呉先生にお会いできて安心し、そして再会の挨拶を交わした後乾杯!食べ物が卓上に載りきらないほどジャンジャン運ばれ、端からうまいうまいと料理を堪能し、同席した中国のお客様と乾杯しつつ、賑やかで楽しい時間が過ぎていった。
宴会の後は夜は宿舎に戻り、明日の朝も早いためおとなしく眠りに入っていた。
・12月30日 メインイベント
朝6時半起床。
今日はまず、7時から呉秀峰先生の墓参りから始まる。外に出てみるとまだ暗かった上、雪までちらちらと降っていた。昨日も寒かったが、今日は特に寒い!呉秀峰先生のお墓は「倍訓中心」から近いため皆歩いて移動した。車道をてくてく歩きそして脇の農道にはいる。
すぐに見えてきた大きな墓石の周りはは何もなく畑の中にぽつんと立っていた。寂しそうなお墓にみるみる人が集まり、あっという間に大にぎわい。暫くすると一列に並んで座っているお坊さんが、何やら唱え始めイスラム教の儀式が始まった。初めて見るその景色はとても新鮮に感じた。
儀式が終わると今度は一転、呉連枝先生とお墓の前で記念撮影会。中国のお客様や私たちのリクエストに応えて、何度も笑顔で写真に撮られている先生を見て「やっぱり、いい方だなぁ」と改めて感心してしまった。
一通り終わると今度はバスで孟村賓館に移動して朝食を。今度は二階の個室に連れて行かれ、生前呉秀峰先生が好きだったと言われている料理を腹一杯食べた。そして次はまた「倍訓中心」に戻り、いよいよメインイベントの落成式に参加!ところが、私はまごまごしている間に体育館に入りそびれ、気が付いたら中は超満員!みんなどこにいるんだろうと呑気なことを思っているところで周佐先生に出くわし「もう遅いから席はないよ」と言われてしまった。残念。
貴賓席に座っている服部先生方とその貴賓席の真ん前に並んで座っている、日本の同門達を見て「い、いつの間に!?」と思いつつ、周佐先生と会場の隅に立ち、開始を待った。
暫くするといよいよ始まり!次々と流れるお祝いの挨拶が終わると、突然館内で爆発音が鳴り祝いの紙テープがクラッカーのごとく天井に向けられていくつも発射されていた!
「うわぁ、派手だなぁ!」と思ったのもつかの間、よく見るとなんと天井の板がクラッカーの勢いで外れ、今にも落ちてきそうに傾いていた。「おいおい…」と思いつつその天井を眺めていたら、外で大きな歓声!
「今度は何だ!?」と思いあわてて外に出てみると、時すでに遅し、石碑の除幕式が丁度終わったところだった。
「あー、一足遅かったか…」と一緒に外に出た仲間と話していると中国名物爆竹の始まり!抱えるほどの爆竹の束や、釣り竿のようなものにぶら下げた爆竹をいくつもいくつも鳴らしたり、打ち上げ花火を何十個も打ち上げたりと、とにかく辺り一面が真っ白になっていく光景を、頭がクラクラするほど暫く見続けていた…。
爆竹の騒ぎも収まり掛けた頃、さあ戻ろうと体育館に足を向けてみてそして歓声が上がっていることに気が付いた。「あっ、しまった、また遅れた!」そう、次のプログラムの表演回がもう既に始まっていたのだ。
あわてて中に入ったが、会場は人だかりで一杯!何とか見える位置を確保し、様々な表演を見学した。見ているとおそらく小架や単打であろう套路をやっている。“おそらく”というのは表演している方々に皆それぞれ個性があり、パッとみでは自分がいつも練習している套路と似ていないからだ。ただ、練習量から見える発力やスピードが皆凄いと言うことを共通して感じられた。なるほど、表演とはこういうものかと改めて勉強になったりした。
時間は12時を過ぎたところで表演大会終了!流れるような、いや流されるような今回の孟村のメインイベントがこれで終了。その後の孟村賓館での昼食以降は私たちは特に予定がなかったので、体育館で軽く体を動かしたり、外で記念撮影をしたり、観光がてら買い物に行ったりとまったり過ごしていた。
そして気が付くともう食事の時間になり、またまた孟村賓館へ出発。今回は日本人だけの個室だったので仲間内でゆっくり食べられるかな、と思っていたら何やら服部先生と楊傑先生がもめている。
「夕飯を食べた後また表宴会があって、そこに日本人が誰か出ないといけないらしい。」いや急に言われても…、なんてみんなで相談した結果、渡邉先生と上田さんがそれぞれ表演することになった。メインイベントが終わったと思って気を抜いたら大間違い。渡邉先生、上田さんエライことになったね、などと話しながら食べていたら「さあ、行くぞ!」と係の人が私たちを呼びに来てあっという間にまたバスに乗り込み、連れて行かれてしまった。
着いた場所がどこかのホテルのスピーチ会場のようなところ。何が始まるのかよく分からないまま座っていると、正面のステージで京劇が始まった。暫く見ていたのだが何を言っているかよく分からないためウトウトしていたら終わってしまった。「次は表演かな?」と思って見ているとなんだかカラオケが流れ出し、MCの人が歌い出した。大音響の中で。頭がクラクラした。
そしていよいよ表演!表演自体は昼間のものとさほど変わりはなかったが、今回はステージの上なので、よく見えて楽しかった。表演が終わると解散。私たち日本人はバスで宿舎に戻り、とても疲れたのでちょっと休憩した後、ばったりと寝てしまった。
・12月31日 鉄獅子と劈掛拳
朝、7時半起床。着替えてすぐさま孟村賓館で朝食。
この日の朝食は揚げパン、まんじゅう、おかゆと今までにない食事だったので新鮮に感じ、やっぱり腹一杯食べてしまった。食事が終わった後、滄州名物の鉄獅子を観光しよう、と言うことになり30分ほど小雪が降る中、バスに乗って現地へ到着。
本物の鉄獅子を見てみるとやはり大きくて迫力がある。でも四方に鉄獅子を支えている棒もあり、また胴体も錆びて抜けていたので寂しくも感じた。鉄獅子を囲んでいる建物にはいると、水滸伝の豹子頭林冲人形が出迎えていたり、滄州の歴代武術家や様々な武器が展示してあったりで、武術の里らしい博物館となっており、興味が尽きなかった。
鉄獅子観光が終わり宿舎に戻ると、もうお昼。「倍訓中心」の食堂での昼食の後は特に予定なし。皆、三々五々体育館に集まって何やら体を動かしていたら、服部先生から常先生にお話しして頂き、皆で常先生から何か教わることになった。まずは昨年の復習、と言うことで苗刀から始まったが、”武器が人数分揃わない”、”人数が多すぎて危険”などの理由ですぐに中止となり、今度は徒手の劈掛拳を教えて頂くことになった。
劈掛の套路は学習済みなので、細かい身法を見習おうと思っていたら大間違い!常先生が始めた劈掛拳は私たちが知っている套路とはかなり異なる独特なもので、私も含め皆戸惑いを隠さず辺りはどよめいていた。ともあれ、常先生の後についてその套路を教わったがなかなかうまくできない。特にうまくいかない箇所は常先生からどのように動くのかを手解きしてもらったり、手を合わせて飛ばされたりと良い体験をさせて頂いた。
套路学習の後は私が訪中前に密かに希望していた対練を、常先生から教わることになった。
昨年、手を合わせた同門の話を聞いていたのでいささか恐縮していたのだが、いざ揉手をしてみるとその柔らかな淀みない動き感心してしまった。
言葉では現しにくいが合わせた手には力が感じられなく、上体の動きはあまり無い。下盤は揉腿のように胯を緩めて動いてらしたように私は感じた。
その他、掴手、三靠劈、前靠と手を合わせて頂いたが、どれもやはり力強さよりも柔らかさを感じた。常先生があえて優しく柔らかくしているのだろうが、放松とはあのようにやるのだな、と大変勉強になった。
常先生との満喫した稽古の後は、孟村名物?羊肉のしゃぶしゃぶを食べることになった。しゃぶしゃぶ屋に入って私たちは狭い小部屋に連れて行かれ、次から次へと運ばれてくる羊肉を腹一杯食べた。
腹一杯食べたところで、今度や孟村賓館へ移動。孟村賓館の別館に温泉があるのでそこで昼間の練習の汗を流し、さっぱりしてから宿舎に戻った。この日は大晦日だったのでひとしきりみんなで騒いで新年を祝い、そして床について忙しかった一日の疲れを取った。
・1月1日 果樹園と四朗寛
昨夜は遅くまで起きていたため今朝は遅めの朝食を取った後、食後の散歩がてら呉先生の果樹園に行くことになった。果樹園には宿舎から歩いて1,2分ほどで到着。
体育館の敷地は元々果樹園だったらしいので体育館と果樹園は隣同士、と言う話。
入り口を入ると右側奧に牛小屋、手前には放し飼いの犬5,6匹、左側は管理人用の小屋があった。暫く果樹園を歩くと今度は煉瓦の壁にぶつかり、その壁の向こう側には鹿が飼われているとのこと。壁の隙間を覗いてみると確かにいる。でも、中の鹿も目の前でこちらを覗いていたのでなんだか気まずくなった。鹿小屋を過ぎると今度は池。水面は凍っていて犬の足跡らしきものが残っていた。水中には食用の魚を飼っているらしい。
それから暫く園内を歩いたのだが、辺りは一面果樹。それも見渡す限りの土地全て呉先生の所有地だと言うことで感心してしまった。
さて散歩から帰って一休みした後、今度はみんなで昼食の餃子を作ることになった。腹の中のものがまだこなれていないのに、もう次の食事の準備とは!と思い、些か閉口したのだが、一口サイズのこの餃子を作るのに結構時間が掛かり終わった頃には疲れてしまった。
この餃子、確かにうまいのだが食べても食べても次々と出てきて、ワンコソバ状態。ついつい苦しくなる程食べてしまった。ちなみに餃子の付け合わせは生のニンニクで、皮を剥いてそのまま囓りながら食べる。ニンニクを生で囓ったことがないので、後でどうなるかはこの時はよく分かっていなかった。
食事の後、今度は体育館で楊傑先生に四朗寛を教わることになった。楊先生から初めて教わった印象としては“日本で映像で見た套路と変わっていない”、“服部先生から聞いていた通り快活な方であった”、というところだろうか。
楊先生の四朗寛はダイナミックで、決して大きくない体を大きく使い、前へ前へと進んでいく。指導しているときの大きく通るような声は体育館中に響く。楊先生との稽古はほとんど全体練習だったので、個人的に細かいところの確認や手を合わせて頂くこともなかったのだが、目の前で套路を見せて頂いたことは大変勉強になった。
ただし、失敗したことが一つ。昼食のニンニクのせいで終始胸がムカムカし練習に集中できなかったことだ。なるほど、生のニンニクを食べた後、体を動かすとこうなるのだなとこれはこれで勉強になった。
そういえば、昼食の前にお土産の“八極服装”を買った。八極拳の文字が入ったウェアで三種類あって、一つは表演服で薄手のもの。一つは少し厚手の作務衣のようなもの。もう一つは結構厚手でコーデュロイのようなもの。「これ買っても着ていくところ無いよなぁ…」と言う気持ちもあったのだが、旅先のお土産はそのようなことが多いので、それ以上考えることを辞めて、私はコーデュロイ状の黒いヤツを購入した。
孟村最後となる夜は呉先生のご家族やご友人、常先生や楊先生方々と私たち日本人同士で、賑やかな宴会となった。この夜は歌を歌ったり、記念写真を撮ったり、呉大偉先生の若いお弟子さん達と触れ合ったりと、とても楽しい一時を過ごした。
・1月2日 孟村にお別れ
孟村最後のこの日は朝から辺りに霧が立ちこめて、とても寒かった。
朝食を取って散らかしていた荷物やお土産を何とか梱包し、部屋を掃除して、出発の準備OK。お世話になった方々にお礼を述べ、そして感謝して、あっという間に過ごした孟村を出発。
約4日間という滞在期間に様々な体験ができた、充実した孟村訪問だった。北京までの道のりは小雪が降り、道が凍っていたため大型バスでの移動に時間が掛かったが夕方には北京に到着し、その後はお土産を買ったり、レストランでみんなと食事をしたりと、旅の最後の夜を楽しんだ。
・1月3日 帰国、そして感謝
次の日の朝、東京方面の私たち開門拳社は午後一番の飛行機に乗るため、夕方便の大阪組とはホテルのロビーでお別れすることに。一週間ずっと朝から夜まで一緒に行動して、お世話になった皆さんとお別れの挨拶と再会の約束をしてホテルを去った。空港は予想外に混雑していたが予定通り北京を出発し無事帰国の途に着いた。
今回の旅行は、コーディネートして頂いた周佐先生と服部先生、旅を同伴した渡邉先生を始めとする大阪組の方々や開門拳社の仲間、そして呉連枝先生を筆頭とする、孟村で歓迎した下さった方々のおかげで、楽しく快適に過ごすことが出来ました。皆様に改めて感謝したいと思います。ありがとうございました。
本部教室指導員 山崎義之 |