2006.12〜2007.01 孟村紀行

2006年末から、定例となった孟村訪問を行いました。
今回は、普段の年と異なり、先師呉秀峰公の生誕百周年を記念する式典と、「八極拳国際培訓中心」の落成式が行われ、国内外からたくさんの関係者が参加されました。


八極拳国際培訓中心(八極拳国際訓練センター)入り口。 アドバルーンがにぎやかな「演武庁」(体育館)。
運動場前の巨大な石碑。上に乗って作業している人との対比をよくごらんください。 センターの内壁には呉連枝老師の小架一路のシルエットがデザインされています。
演武庁に飾られた各種兵器。 体育館内にて、式典前の打ち合わせ。
貴賓席の各界著名人たち。 開始を待つ呉連枝老師。
式典は、粛々と進みます。 日本八極拳法研究會の渡邉先生と、服部代表。
石碑の除幕式も… 順調に行われました。

 開門拳社に入会してから10年経ちますが、この度初めて聖地である孟村を訪れることになりました。
 今回の旅は6世伝人呉秀峰先生の生誕100周年、没後30周年、そして八極拳の訓練施設の落成というイベントの盛り合わせがあるということで、私たちは期待と不安を胸に日本を出発しました。

・12月28日 10年ぶりの北京

 北京に到着、飛行機の外に出ると寒く感じたが思ったほどでもない。少し緊張してタラップを降り、そしてパスに乗って空港に入っていった。10年前に来たときよりも清潔に感じたが相変わらず暗かった。
  空港でチェックアウトを終え、私たちを待っていたバスに乗ってホテルに向かった。そしてあっという間にホテルへ。そこでは今回の旅行を手配して頂いた周佐先生がお待ちになっていた。

 「こんにちは!ご無沙汰してます!」久しぶりの再会に私も含め皆うれしそうだった。
  ホテルのチェックインを済ませた後、周佐先生は大阪組を迎えに行くため空港に、私たち東京組は北京の街の観光に出かけていった。まず昼食を兼ねて王府井をぶらぶらしつつ繁華街へ。王府井の目抜き通りは賑やかで、見るもの見るものが珍しく感じ、歩いていてなかなか楽しかった。(よく見ると日本で見かけるようなものばかりだったのだが…。)
  大通りから脇道に入った観光街でフラフラしつつ昼食を食べて、北京の最大名所、紫禁城へ向かう。天安門の前は観光客で一杯。そして門の中も観光客で一杯。さらに物売りも一杯いた。さすがに観光地、つまらないものを買わされないようにと気を付けているそばで仲間が、すぐさまおもちゃを買っていた…。
  天安門と広場はこれといって見るものはなかったのが、あの広くて大きなところにいると、「あー、中国にいるんだなぁ…」という気持ちになり気持ちが高揚してくる。
  一通り見物した後、地下鉄で王府井へ戻ると「是非みんなに行かせたい」という服部先生の意見と、「一度言ってみたい」というみんなの意見で、今度は屋台街へ向かうことに。
  屋台街は屋台の兄ちゃん達が威勢よく声を出して羊肉饅頭やら、山査子の水飴、そしてヒトデ、バッタ、サソリ、終いにはサメの串刺しなんていうものもあった。「サメはやりすぎだろ、誰が食べるんだよ…」という意見でみんなが一致したところで北京の観光はおしまい。

 ホテルに戻ると大阪組の渡邉先生、石田さんとは再会の、そして永野先生、渡邉先生の学生の日下さんとは初めましての挨拶を交わした。同門の方々とこうして同じ目的でお会いできたことを心からうれしく感じた。その後の夜の食事会も賑やかに楽しくおいしく過ごし、明日の孟村への気持ちを胸に抱きつつ夜が更けていった。

・12月29日 いよいよ孟村へ

 さて、目覚ましを日本時間にしていたため予定よりも一時間早く起きるというお約束のボケを朝からかましつつ、8時にはチェックアウト。そそくさとみんなで市街バスに乗り込み、北京駅へ向かう。
  今回の移動は周佐先生たっての希望で汽車で滄州まで移動することになっていたのだ。約15分ほどで到着した北京駅の待合室は帰省する人々で一杯。日本も3,40年前はこんな感じだろうか、と思うような光景だった。
  寒い中待つこと1時間、そろそろ私たちも、と列に並び切符を切ってもらいプラットホームに入るとみんなダッシュ!ダッシュで目的の車両へ!「ウチらのチケットは指定席だけど、車内の荷台は限られているので早く座らないといけない。プラットホームに入ったら走って。」という話を事前に聞いていたのでみんな堰を切ったように走っていったのだが、荷物は重いし、なんと言っても目的の車両まで遠い!
  思っていたより倍近く走り、へとへとになって席に着いた。無事荷物を荷台に載せていよいよ出発。車内は清潔で暖かく、窓も広い。皆でわいわいと車内を楽しく過ごしたため3時間の移動もあっという間だった。
  目的地の滄州駅をに着くと、軽く昼食を取ってすぐさまバス乗り場へ直行。孟村行きの狭いバスに全員で乗り込み出発。あっという間の滄州だった。この孟村行きのバスは直行便なので基本的には目的地まで停まらない。が道ばたで手を挙げている人を見ると停まって乗り入れるという、半分タクシーのようなバスであった。
  窮屈なバスに揺られて一時間経つと、とうとう私たちは孟村に到着!そしてそのままバスで孟村賓館に入っていった。

 入り口は人で一杯でこの後のイベントに参加する方々の受付が行われていた。「ようこそ!」の挨拶もそこそこに、流されるように外のバスに乗り込み、新しく建てられたという体育館&宿舎の施設へ向かう。
  街の中心から数キロ離れた、辺りには畑ばかりの場所に、「八極拳国際倍訓中心」と出ている大きな看板が見えてきた。バスを降りてその施設を見るや、何度も孟村を訪れた人達は「信じられない!」と声を上げ、初孟村の私は「へぇ!立派な体育館だ、すごい!」と感心していた。敷地内に入ると呉連枝先生の奥様や楊傑先生始め、様々な方に出迎えて頂き嬉しくなり、いよいよ気持ちが高ぶっていった。
  「皆が泊まる宿舎はこっち。」という指示の元、出来たてほやほやの建物に入ると、二段ベッドが4つとテレビ、給水のミネラルウォーターとシンプルな部屋だが、暖房もあり寒さも感じられずまずまず快適に感じられた。
  荷物を整理して一休みしてから、敷地内を散策。明日の式典場である体育館の中を目を丸くして歩き回り、正面の奧の大きなプレートを見て「『開門八極』かっこいい〜」、「武器が一杯、かっこいい〜」、「お〜、ゲームセンターにあるようなパンチングマシンが!おもしれ〜」、外の壁に描かれている八極小架のシルエットを見ると「しゃれてるな〜」、体育館の前のグランドにある大きな石碑を見ると「かっこいい〜」「でっけぇなぁ〜」などと、みんな感じ入っていた。

 「そろそろ宴会なので、バスに乗って移動する。」の連絡を受けて宴会場の孟村賓館へ向かう。会場では、すでに人が一杯で賑やかになっていた。係員の指示の元、みんなで円卓に座って乾杯の準備をしている中、呉連枝先生がそこに現れた!いつも通りの呉先生にお会いできて安心し、そして再会の挨拶を交わした後乾杯!食べ物が卓上に載りきらないほどジャンジャン運ばれ、端からうまいうまいと料理を堪能し、同席した中国のお客様と乾杯しつつ、賑やかで楽しい時間が過ぎていった。
  宴会の後は夜は宿舎に戻り、明日の朝も早いためおとなしく眠りに入っていた。

・12月30日 メインイベント

 朝6時半起床。
  今日はまず、7時から呉秀峰先生の墓参りから始まる。外に出てみるとまだ暗かった上、雪までちらちらと降っていた。昨日も寒かったが、今日は特に寒い!呉秀峰先生のお墓は「倍訓中心」から近いため皆歩いて移動した。車道をてくてく歩きそして脇の農道にはいる。
  すぐに見えてきた大きな墓石の周りはは何もなく畑の中にぽつんと立っていた。寂しそうなお墓にみるみる人が集まり、あっという間に大にぎわい。暫くすると一列に並んで座っているお坊さんが、何やら唱え始めイスラム教の儀式が始まった。初めて見るその景色はとても新鮮に感じた。
  儀式が終わると今度は一転、呉連枝先生とお墓の前で記念撮影会。中国のお客様や私たちのリクエストに応えて、何度も笑顔で写真に撮られている先生を見て「やっぱり、いい方だなぁ」と改めて感心してしまった。

 一通り終わると今度はバスで孟村賓館に移動して朝食を。今度は二階の個室に連れて行かれ、生前呉秀峰先生が好きだったと言われている料理を腹一杯食べた。そして次はまた「倍訓中心」に戻り、いよいよメインイベントの落成式に参加!ところが、私はまごまごしている間に体育館に入りそびれ、気が付いたら中は超満員!みんなどこにいるんだろうと呑気なことを思っているところで周佐先生に出くわし「もう遅いから席はないよ」と言われてしまった。残念。
  貴賓席に座っている服部先生方とその貴賓席の真ん前に並んで座っている、日本の同門達を見て「い、いつの間に!?」と思いつつ、周佐先生と会場の隅に立ち、開始を待った。
  暫くするといよいよ始まり!次々と流れるお祝いの挨拶が終わると、突然館内で爆発音が鳴り祝いの紙テープがクラッカーのごとく天井に向けられていくつも発射されていた!
  「うわぁ、派手だなぁ!」と思ったのもつかの間、よく見るとなんと天井の板がクラッカーの勢いで外れ、今にも落ちてきそうに傾いていた。「おいおい…」と思いつつその天井を眺めていたら、外で大きな歓声!
  「今度は何だ!?」と思いあわてて外に出てみると、時すでに遅し、石碑の除幕式が丁度終わったところだった。
  「あー、一足遅かったか…」と一緒に外に出た仲間と話していると中国名物爆竹の始まり!抱えるほどの爆竹の束や、釣り竿のようなものにぶら下げた爆竹をいくつもいくつも鳴らしたり、打ち上げ花火を何十個も打ち上げたりと、とにかく辺り一面が真っ白になっていく光景を、頭がクラクラするほど暫く見続けていた…。

 爆竹の騒ぎも収まり掛けた頃、さあ戻ろうと体育館に足を向けてみてそして歓声が上がっていることに気が付いた。「あっ、しまった、また遅れた!」そう、次のプログラムの表演回がもう既に始まっていたのだ。
  あわてて中に入ったが、会場は人だかりで一杯!何とか見える位置を確保し、様々な表演を見学した。見ているとおそらく小架や単打であろう套路をやっている。“おそらく”というのは表演している方々に皆それぞれ個性があり、パッとみでは自分がいつも練習している套路と似ていないからだ。ただ、練習量から見える発力やスピードが皆凄いと言うことを共通して感じられた。なるほど、表演とはこういうものかと改めて勉強になったりした。

 時間は12時を過ぎたところで表演大会終了!流れるような、いや流されるような今回の孟村のメインイベントがこれで終了。その後の孟村賓館での昼食以降は私たちは特に予定がなかったので、体育館で軽く体を動かしたり、外で記念撮影をしたり、観光がてら買い物に行ったりとまったり過ごしていた。
  そして気が付くともう食事の時間になり、またまた孟村賓館へ出発。今回は日本人だけの個室だったので仲間内でゆっくり食べられるかな、と思っていたら何やら服部先生と楊傑先生がもめている。
  「夕飯を食べた後また表宴会があって、そこに日本人が誰か出ないといけないらしい。」いや急に言われても…、なんてみんなで相談した結果、渡邉先生と上田さんがそれぞれ表演することになった。メインイベントが終わったと思って気を抜いたら大間違い。渡邉先生、上田さんエライことになったね、などと話しながら食べていたら「さあ、行くぞ!」と係の人が私たちを呼びに来てあっという間にまたバスに乗り込み、連れて行かれてしまった。

 着いた場所がどこかのホテルのスピーチ会場のようなところ。何が始まるのかよく分からないまま座っていると、正面のステージで京劇が始まった。暫く見ていたのだが何を言っているかよく分からないためウトウトしていたら終わってしまった。「次は表演かな?」と思って見ているとなんだかカラオケが流れ出し、MCの人が歌い出した。大音響の中で。頭がクラクラした。
  そしていよいよ表演!表演自体は昼間のものとさほど変わりはなかったが、今回はステージの上なので、よく見えて楽しかった。表演が終わると解散。私たち日本人はバスで宿舎に戻り、とても疲れたのでちょっと休憩した後、ばったりと寝てしまった。

・12月31日 鉄獅子と劈掛拳

 朝、7時半起床。着替えてすぐさま孟村賓館で朝食。
  この日の朝食は揚げパン、まんじゅう、おかゆと今までにない食事だったので新鮮に感じ、やっぱり腹一杯食べてしまった。食事が終わった後、滄州名物の鉄獅子を観光しよう、と言うことになり30分ほど小雪が降る中、バスに乗って現地へ到着。
  本物の鉄獅子を見てみるとやはり大きくて迫力がある。でも四方に鉄獅子を支えている棒もあり、また胴体も錆びて抜けていたので寂しくも感じた。鉄獅子を囲んでいる建物にはいると、水滸伝の豹子頭林冲人形が出迎えていたり、滄州の歴代武術家や様々な武器が展示してあったりで、武術の里らしい博物館となっており、興味が尽きなかった。

 鉄獅子観光が終わり宿舎に戻ると、もうお昼。「倍訓中心」の食堂での昼食の後は特に予定なし。皆、三々五々体育館に集まって何やら体を動かしていたら、服部先生から常先生にお話しして頂き、皆で常先生から何か教わることになった。まずは昨年の復習、と言うことで苗刀から始まったが、”武器が人数分揃わない”、”人数が多すぎて危険”などの理由ですぐに中止となり、今度は徒手の劈掛拳を教えて頂くことになった。
  劈掛の套路は学習済みなので、細かい身法を見習おうと思っていたら大間違い!常先生が始めた劈掛拳は私たちが知っている套路とはかなり異なる独特なもので、私も含め皆戸惑いを隠さず辺りはどよめいていた。ともあれ、常先生の後についてその套路を教わったがなかなかうまくできない。特にうまくいかない箇所は常先生からどのように動くのかを手解きしてもらったり、手を合わせて飛ばされたりと良い体験をさせて頂いた。

 套路学習の後は私が訪中前に密かに希望していた対練を、常先生から教わることになった。
  昨年、手を合わせた同門の話を聞いていたのでいささか恐縮していたのだが、いざ揉手をしてみるとその柔らかな淀みない動き感心してしまった。
  言葉では現しにくいが合わせた手には力が感じられなく、上体の動きはあまり無い。下盤は揉腿のように胯を緩めて動いてらしたように私は感じた。
  その他、掴手、三靠劈、前靠と手を合わせて頂いたが、どれもやはり力強さよりも柔らかさを感じた。常先生があえて優しく柔らかくしているのだろうが、放松とはあのようにやるのだな、と大変勉強になった。

 常先生との満喫した稽古の後は、孟村名物?羊肉のしゃぶしゃぶを食べることになった。しゃぶしゃぶ屋に入って私たちは狭い小部屋に連れて行かれ、次から次へと運ばれてくる羊肉を腹一杯食べた。
  腹一杯食べたところで、今度や孟村賓館へ移動。孟村賓館の別館に温泉があるのでそこで昼間の練習の汗を流し、さっぱりしてから宿舎に戻った。この日は大晦日だったのでひとしきりみんなで騒いで新年を祝い、そして床について忙しかった一日の疲れを取った。

・1月1日 果樹園と四朗寛

 昨夜は遅くまで起きていたため今朝は遅めの朝食を取った後、食後の散歩がてら呉先生の果樹園に行くことになった。果樹園には宿舎から歩いて1,2分ほどで到着。
  体育館の敷地は元々果樹園だったらしいので体育館と果樹園は隣同士、と言う話。
  入り口を入ると右側奧に牛小屋、手前には放し飼いの犬5,6匹、左側は管理人用の小屋があった。暫く果樹園を歩くと今度は煉瓦の壁にぶつかり、その壁の向こう側には鹿が飼われているとのこと。壁の隙間を覗いてみると確かにいる。でも、中の鹿も目の前でこちらを覗いていたのでなんだか気まずくなった。鹿小屋を過ぎると今度は池。水面は凍っていて犬の足跡らしきものが残っていた。水中には食用の魚を飼っているらしい。
  それから暫く園内を歩いたのだが、辺りは一面果樹。それも見渡す限りの土地全て呉先生の所有地だと言うことで感心してしまった。

 さて散歩から帰って一休みした後、今度はみんなで昼食の餃子を作ることになった。腹の中のものがまだこなれていないのに、もう次の食事の準備とは!と思い、些か閉口したのだが、一口サイズのこの餃子を作るのに結構時間が掛かり終わった頃には疲れてしまった。
  この餃子、確かにうまいのだが食べても食べても次々と出てきて、ワンコソバ状態。ついつい苦しくなる程食べてしまった。ちなみに餃子の付け合わせは生のニンニクで、皮を剥いてそのまま囓りながら食べる。ニンニクを生で囓ったことがないので、後でどうなるかはこの時はよく分かっていなかった。

 食事の後、今度は体育館で楊傑先生に四朗寛を教わることになった。楊先生から初めて教わった印象としては“日本で映像で見た套路と変わっていない”、“服部先生から聞いていた通り快活な方であった”、というところだろうか。
  楊先生の四朗寛はダイナミックで、決して大きくない体を大きく使い、前へ前へと進んでいく。指導しているときの大きく通るような声は体育館中に響く。楊先生との稽古はほとんど全体練習だったので、個人的に細かいところの確認や手を合わせて頂くこともなかったのだが、目の前で套路を見せて頂いたことは大変勉強になった。

 ただし、失敗したことが一つ。昼食のニンニクのせいで終始胸がムカムカし練習に集中できなかったことだ。なるほど、生のニンニクを食べた後、体を動かすとこうなるのだなとこれはこれで勉強になった。
  そういえば、昼食の前にお土産の“八極服装”を買った。八極拳の文字が入ったウェアで三種類あって、一つは表演服で薄手のもの。一つは少し厚手の作務衣のようなもの。もう一つは結構厚手でコーデュロイのようなもの。「これ買っても着ていくところ無いよなぁ…」と言う気持ちもあったのだが、旅先のお土産はそのようなことが多いので、それ以上考えることを辞めて、私はコーデュロイ状の黒いヤツを購入した。

 孟村最後となる夜は呉先生のご家族やご友人、常先生や楊先生方々と私たち日本人同士で、賑やかな宴会となった。この夜は歌を歌ったり、記念写真を撮ったり、呉大偉先生の若いお弟子さん達と触れ合ったりと、とても楽しい一時を過ごした。

・1月2日 孟村にお別れ

 孟村最後のこの日は朝から辺りに霧が立ちこめて、とても寒かった。
  朝食を取って散らかしていた荷物やお土産を何とか梱包し、部屋を掃除して、出発の準備OK。お世話になった方々にお礼を述べ、そして感謝して、あっという間に過ごした孟村を出発。
  約4日間という滞在期間に様々な体験ができた、充実した孟村訪問だった。北京までの道のりは小雪が降り、道が凍っていたため大型バスでの移動に時間が掛かったが夕方には北京に到着し、その後はお土産を買ったり、レストランでみんなと食事をしたりと、旅の最後の夜を楽しんだ。

・1月3日 帰国、そして感謝

 次の日の朝、東京方面の私たち開門拳社は午後一番の飛行機に乗るため、夕方便の大阪組とはホテルのロビーでお別れすることに。一週間ずっと朝から夜まで一緒に行動して、お世話になった皆さんとお別れの挨拶と再会の約束をしてホテルを去った。空港は予想外に混雑していたが予定通り北京を出発し無事帰国の途に着いた。

 今回の旅行は、コーディネートして頂いた周佐先生と服部先生、旅を同伴した渡邉先生を始めとする大阪組の方々や開門拳社の仲間、そして呉連枝先生を筆頭とする、孟村で歓迎した下さった方々のおかげで、楽しく快適に過ごすことが出来ました。皆様に改めて感謝したいと思います。ありがとうございました。

 

本部教室指導員 山崎義之

 八極拳を始めて、はや4年。とうとう念願の八極拳の故郷である孟村を訪れることが出来た。
  ビデオカメラも購入し、着々と準備を進めながらも、楽しみと共に不安もあった。しかし、今思い出すと、とても楽しい旅行であった。

2006.12.27
  フライトの関係で、出発当日に自宅からの移動では間に合わないので、同門の進藤家にお世話になることにした。進藤家では、夕食もご馳走になってしまい、大変お世話になりました。この場でお礼をさせていただきます。本当にありがとうございました。
  進藤さんは、昨年も訪れているため、昨年の状況などを聞いて、どんなところか想像を膨らませていた。その日は、期待と不安を思いながら就寝した。

2006.12.28
  早朝から成田に向かう。9:00成田発でお昼過ぎに北京着。ここが北京かぁとー思いながら飛行機を降りたときには、寒い。自分の装備で大丈夫かと不安に思いながら、ホテルに到着。
  その後、北京市街観光。歩いて天安門に向かう。その途中で屋台街により、噂に聞いた蠍の串を食べた。見た目は当然良くないが、味は普通(聞いていたように川海老のから揚げと同じ)。酒のつまみに良さそうだ。
  ここでビデオ撮影しようとしたところで事故に気付く!! ビデオカメラのハードディスクが死んだ・・・・。仕方ない、使い方が良く分からないが、DVD撮影に切替だ。ハイブリッドカメラで良かったと思いながらも、この先大丈夫かと心配に・・・・。
  天安門では、衛兵の行進練習(?)や天安門広場などを見学して、ホテルへ戻る。ホテルで関西から来られた同門の人たちと合流し、ホテル近くの中華料理屋で夕食を。やはり本場の中華はうまい。つい食べ過ぎてしまった。

2006.12.29
  この日は孟村まで向かう。ホテル近くのバス停まで歩く。交通事情は聞いていた通り、日本では考えられないほどのクラクションの嵐。しかも、早速事故を目撃してしまった。
  バスで北京駅まで移動し、列車に乗る。この列車に乗るのが、また大変。車内の荷物置き場確保のため、改札を通ったら、即ダッシュ。自分の車両まで行き、切符を見せ、車内に入る(車両のドアにも、切符を見る人がいる)。何とか席に着き、車窓から風景を眺めながら、滄洲に向かう。
  風景を眺めていると、いろいろ工事が行われている。北京オリンピックの準備が進んでいるのだなぁと思いつつ、オリンピックまでに間に合うのかなと疑問に思った。もしかしたら、オリンピックには関係ないのかもしれないが・・・。
  3時間程度で滄洲駅に到着。滄洲駅からは孟村までバスで移動。マイクロバスに揺られて約1時間。とうとう孟村に到着。バスの中で、「そこを曲がると呉大偉老師の家だ」などと話をしながら、バスはさらに進む。

 呉秀峰老師のお墓を左手に見ながら進むと、そこには『八極拳国際培訓中心』の看板が。ここが今年新しく出来た練習場らしい。中に入ると、体育館、宿泊施設もある、大変立派な施設である。まだ完全には完成ではないらしいが、生活に問題はなさそうで一安心。
  宿泊所で休憩していると、呉秀峰老師生誕100年式典の歓迎会のため、孟村賓館に移動。
  式典会場には、『迎四方豪傑 聚八極精神』と看板が!!
  日本人用に用意されたテーブルの周りには、たくさんの中国人。迎四方豪傑とあるように、全員が有名武術家なのだろうと思いながら、夕食を。周りでは、写真撮影会のような状態で、有名武術家の周りに人だかりがすごかった。
  夕食は、正直、緊張しておとなしく食事をしていたが、当然ながら老滄洲(白酒)が登場。あれよあれよと飲まされて、飲みすぎでちょっと箍が外れてちょっと調子に乗ってしまった。反省だ・・・。
  無事歓迎会が終わり、宿舎に戻り本日は終了。

2006.12.30
  本日は朝7:00から呉秀峰老師の墓参り。宿舎を出ると、雪が降っている。その中を歩いて呉秀峰老師のお墓まで歩いていく。相当防寒したつもりだが、それでも寒さが厳しいと思えるほどの寒さであった。
  お墓まで歩いていくと、なんかよく分からない言葉をぶつぶつ言っている人たちの前で、呉連枝老師、呉大偉老師たちが座って聞いている。時には、お金を前の人に配ったりと、忙しい。後で聞いたところ、呉連枝老師の前に座っていた人たちは、イスラム教のお坊さんで、ぶつぶつ言っていたのはコーランとのこと。こんなところでイスラムの文化を体験できるとは思っていなかった。
  お墓参りが終わると、呉秀峰老師のお墓の前でみんなで写真撮影し、宿舎に戻った。
  戻ってすぐに、朝食のために孟村賓館まで、バスで移動。そこでは、有名武術家と同じテーブルで食事をすることになったが、そこには派手な服装をした人が。イスラム関係の人かと思っていたら、武当山の偉い人とのこと。そう言われれば、もしかしてビデオとかで見たことがあるかも??。
  食事は、パンのようなものと牛肉汁(?)で、今までのご馳走と比較すると、あっさりしていて胃にやさしい感じであった。

 食事が終わって、八極拳国際培訓中心に戻ると、八極拳国際培訓中心の落成式が体育館のなかで始まった。有名武術家たちが前に座っており、周りにはテレビカメラをもった人たちもたくさんいた。ありがたいことに日本人のために前のほうに椅子が準備されており、私たちは特等席で開会式を見ることが出来た。
  開会式では、有名武術家たちの紹介、そして呉連枝老師の挨拶などがあり、最後にはテープカットまで行われた。その後、外で開門八極の石碑の除幕式があり(残念ながら見られなかったが・・)、花火、爆竹がひっきりなしに鳴っていた。これで終わりかと思っていると、どこかからまた爆竹を持ってきて鳴らしている。何でここまでやるのだろうと思いながらも、これが中国のお祝いの仕方なのだなぁと感心しつつ、見ていた。
  外で爆竹を見ていると、既に体育館の中では表演会が始まっていた。気付いたときには、もう遅く、表演をしている周りには、人が石垣のように立っていて、とても見られる状況では無くなっていた。ビデオカメラで何とか撮影しようと試みたが、正直うまく撮れなかった。
  それでも、何とか撮影を行っていると、日本人の表演の順番とのこと。慌しく準備をして、劈掛拳を表演した。 表演自体、私は初めての経験であったが、初孟村で気持ちがいっぱいいっぱいだったのに加えて、余りに慌しくて緊張する余裕も無く、あっという間に終わってしまった。その後も、何とか表演会を撮影して、落成式は終わった。

 昼食は孟村賓館にて。昨日の歓迎会以上に周りでは盛り上がっており、有名武術家の写真撮影会と化していたように見えた。同門の進藤さんは、老滄洲(白酒)の関係者の人に紹介され、宣伝用か分からないが、「好喝(ハオフー)」と言いながら写真を撮られていた。さすが、日本人で一番、老滄洲(白酒)が好きな男!!。

 昼食後は、夕食まで特に無いので、体育館で自主練習をしていた。武器なども準備されていたので勝手に借りて練習していた。大槍があったので、進藤さんと劈杆子の練習をした。孟村での初練習で感慨深いものを感じながらも、なんだかうまく回っているような気がした。場所のおかげか、はたまた気のせいか??

 そうこうしていると、中国のテレビが服部先生をインタビューすると言う。私は、インタビューの撮影をさせて頂いた。他の人たちは、静かにしていないといけないとのことで、体育館の外に出ていた。終わって、体育館の外に行ってみると、他の人はいなくなっていた・・・・。
  私は退屈だったので、関西の石田さんと2人で練習をしていた。知っている套路を全てやるという、とんでもない練習になってしまったが、寒い中、大汗をかいていた。今思うと、今回の孟村旅行では、一番きつかったと思う。石田さん、練習のお付き合いありがとうございました。

 夕食は、またも孟村賓館にて。今回は、孟村賓館の2階で日本人だけの部屋で食事をとった。周りに気を使う必要がなく気持ちは楽だった。
  食事が終わると劇を見に行くという。また、バスに乗り劇場に移動し、京劇のようなものを見させて頂いた。なんだかよく分からない内容ではあったが、中国で劇というとこんなものなのかなぁと思いながら劇も完了。
  京劇の後は、表宴会が始まった。日本からは、渡邉先生が単打、上田指導員が太宗拳を表演した。
  2人とも、孟村の人たちから「好(ハオ)、好(ハオ)」と言われており、実際すばらしかった。その他、中国武術家の表演を、午前中の表演とは異なり、じっくり見られて良かった。やはり本場の表演は、違うなぁと思いながら見させていただいた。
  劇場からバスで宿舎に戻り、本日は完了した。

2006.12.31
  本日は、呉秀峰老師生誕100年式典の最後の日。この日も、朝食を孟村賓館でとった。この日の朝食は、おかゆなどがあり、やっと孟村らしい食事(??)であった。これで、呉秀峰老師生誕100年式典は終わった。なんだかんだで、あっという間に式典が終わった感じであった。
  一旦、宿舎に戻って、鉄獅子観光に向う。ここでの移動は、公安バス。バスの中には、液晶テレビに、ウォーターディスペンサーが!! 公安バスでなぜ必要なの??と疑問に思いながらも、乗り込む。ちなみに、呉大偉老師の関係で、都合が付いたらしい。公安に顔が利くとは聞いた事があるが実際に目の前に見せ付けられると、驚きもひとしおだ。移動中は、前に車がいるとサイレンを鳴らして、どかしていた。(うーん、ジャイアニズム。)

 30分もすると、鉄獅子の博物館(?)に到着。門を通って中に入ると、鉄獅子が目の前に。正直、錆でボロボロで、大きな穴も空いていた。拳児で書かれていたものとは大きく異なる感覚ではあったが、実物をこの目で見られて感激だ。博物館には、林冲の人形など武術の歴史が描かれていた。やはりこの地は、武術の里なのだと実感した。

 八極拳国際培訓中心に戻って、午後は、常玉剛老師と練習した。
  最初は、昨年の復習とのことで苗刀を練習していたが、人数の関係で、苗刀も数が足らず、体育館内では狭いとのことで、徒手の練習になった。
  徒手は、周佐さんの希望で、劈掛拳。常玉剛老師と練習し始めると、初めての動作ばかり。切りの良い所までを何度も繰り返し練習したが、これが起式とのこと。ちょっと短い套路のようであったが、体は十分に練れる感じ。しかし、これが起式となると、本編はどんなものなのだろう。最後までやれるのか心配だが、一度は経験したいものだ。
  また、常玉剛老師との対練も見させていただいた、相手は、進藤さんと山崎指導員。常玉剛老師の動きが、絶妙も絶妙。動きの滑らかさといい、安定性といい、これが本場の八極拳の動きかぁと思った。こんな動きが出来るようになるのは、一生やっても無理だろうけど、少しでも近づけるよう練習をせねば。

 夕食は、羊のシャブシャブを食べに町に出かけた。店のテーブルの上には、石炭ストーブの周りに水を張れるような鍋が置かれており、石炭ストーブには煙突が付いており外に排気できるようになっていた。たれはゴマだれだが、日本のゴマだれとは少し異なる。でも、食べるとうまい。さっぱりしていて、羊ってこんなに食べやすいものだったかなぁと思った。
  夕食後は、サウナに行くとのことで、一旦宿舎に戻り、サウナに向う。日本の温泉みたいなもので、洗い場もあるし、大きな違いはない。水がしょっぱく、泡立ちは良くないが、とてもさっぱりした(汚い話だが、この日まで中国では風呂に入っていなかったので)。
  サウナの上の階には、怪しげなお店もあり、興味津々の人たちもいらっしゃいました。『○○一生、一生●●』や『○○一生、☆☆浪漫』と言ったお話もありましたが、ここでは多くを語ることはやめておきましょう。

2007.01.01
  本日の朝食は、八極拳国際培訓中心でパン&牛肉面(?)を食べた。聞くところによると、一般的な孟村の朝食らしい。
  朝食後は、呉連枝老師の果樹園を散歩し、牛や鹿を見て回った。朝の散歩は、寒かったが、気持ちよかった。帰ると、呉大偉老師が着ている服が購入できるとのことで、試着し購入。生地がコールテンのようで冬の部屋着に使えそうだ。
  その後は、昼食のための餃子作り。皮も、餡も自家製で、日本人全員で餃子包みに没頭した。後から後から皮が持ってこられ、食べきれないほどの餃子を作った。その餃子は大きな鍋で茹で上げられ、テーブルの前に盛られた。ほとんどワンコ餃子状態で、もう食べれるだけ食べた。

 午後は、おなかいっぱいの状態で、楊傑老師に四朗寛を習った。楊傑老師は、お年を取られて、顔つきもビデオと比較するとやせた感じを受けたが、実際の動作は、昔と変わらず伸びやかで、迫力があり、しかも動きは柔らかく、もう絶妙としか言いようがない。休憩中も太宗拳、行劈拳などを見させていただいたが、楊傑老師らしい伸びやかな、すばらしい動作であった。
  夕食は私たちの送別会もしていただいた。呉連枝老師たちと飲んで、写真を撮ったり、常玉剛老師の歌なども聞かせていただいた。お礼とばかりに、服部先生、上田指導員、周佐さんも歌い、にぎやかな送別会を楽しませて頂いた。

2007.01.02
  本日は、帰国のため、北京まで移動。
  孟村から滄洲までは、先日の公安のバスで移動。あいも変わらずサイレン鳴らして、独走していた。滄洲までは、呉大偉老師が付いてきてくれ、大変親切だなぁと感じた。
  滄洲〜北京までは、中国の高速バス。台湾の高速バスより席はきついが、快適でお菓子までサービスされた。このバス内では、疲れのためか爆睡状態であった。北京のバス停からタクシー(白タク)で移動し、ホテルに到着。
  北京では、お土産を購入し、本屋なども見てまわった。夕食には、北京ダックで有名な店で、北京ダックを堪能した。
  食後は、ホテルの部屋にみんなで集まり、中国の最後の夜を団欒で楽しんだ。会話の中で○大開など楽しい話も聞けて面白かった。○の中の数字は内緒です。

2007.01.03
  とうとう、本日は帰国。ホテルで関西の人たちと別れ、空港へ移動し、無事帰国となった。
  初めての孟村の旅の1週間も、あっという間に過ぎてしまったが、孟村の文化などの貴重な体験をさせて頂き、大変充実した1週間であった。

 最後に、今回の旅行の手配をしていただいた、服部先生、周佐さん、本当にありがとうございました。大変楽しい旅をさせて頂き感謝感謝です。
  今回の旅でひとつ残念だったのは、まったく中国語が話せず、中国の同門の人たちとしゃべることが出来なかったことです。今度来るときは、少しはしゃべれるようになり、同門の方とコミュニケーションを取りたいと思いました。

 

本部教室 田中裕一

 

呉秀峰先師の得意弟子、天津の王傑老師・楊維竜老師と。
29日のレセプションで司会を務められる、常玉剛師兄と楊傑師兄。

列席者に謝意を述べられる呉連枝老師。

宴席にて、呉連枝老師。 おおにぎわいです。

「筆会」席上にて、書を書かれる呉連枝老師。

武当派掌門人・呉大偉氏・鄭星雲氏と。



 2006年12月28日から2007年1月9日にかけて、呉氏開門八極拳の故郷へ行ってまいりました。今回は、呉連枝老師のお父さんである呉秀峰先師の生誕百周年式典及び国際八極拳訓練センターの開所式があるとのことであり、約10年前に行われた式典より大規模と聞いていたので、興味津々の旅となりました。

【2006年12月28日】
  今回は式典にあわせての旅行だったので、いつもより遅い出発日にしたら、先に田中さん、進藤さんと自分が成田空港に着いたところ、予想以上にチェックインカウンタ前が大行列。さすが年末近くなる海外脱出組が多い。
  しばらくして、服部先生、上田さん、山崎さん、新井さんが到着。総勢7名が合流後、出国手続きに。結構行列が出来ていましたが無事に通過、ほぼ予定どおり成田空港を出発。一路、北京空港へ。北京空港にもほぼ予定どおりに到着し、入国手続きも無事に通過。北京空港には、周佐さんが手配していてくれた現地の方が出迎えにきており、マイクロバスで北京市内のホテルに移動。
 ホテルには周佐さんが先に着いており、夜の予定を打ち合わせた後、周佐さんは関西から来る渡邉先生達の出迎えに行くため、自分たちは渡邉先生達の到着まで市内観光に行くことにしました。

 市内観光は、王府井で遅めの昼食をとり、天安門まで散策。天安門は何度か来たけど中には入ったことはなかったのですが、中に入ってみると、やっぱり観光地、兵隊の訓練風景とかを見せたりしていた。今北京で流行っているのか二つの磁石を付けて鳴らすおもちゃがあり、新井さんと新藤さんが興味津々で買っていましたが、鳴らす以外使い道がないもの・・・。いつもながら、天安門は寒く、また、日が暮れてきたため一層冷え込んできたため、地下鉄で王府井まで移動。最終日のために屋台街をチェックした後、ホテルに戻りました。
 ホテルにて周佐さん、渡邉先生達と待ち合わせた後、ホテル近くのレストランで夕食をとった後、ホテルにて明日朝が早いことから、早めに就寝。

【2006年12月29日】
  翌日朝、ホテルからバスにて北京駅まで移動。北京駅からは滄州駅までは、新型車両ということもあり、硬座でありながら、一昔前の軟座クラスの席だったので、快適な列車の旅でした。
  昼過ぎに滄州駅に到着したので、滄州市内にて遅めの昼食として、ラーメンを食べることに。日本のラーメンと少し味が違っていましたが、日本人にあった味付けか。
  滄州からは孟村までは、いつもの乗合バスにて移動し、夕方近くに孟村に到着。

  孟村では、呉連枝老師のご子息である大偉氏に孟村賓館で出迎えてもらい、そのまま、新しく出来た国際八極拳訓練センターに移動。
  国際八極拳中心センターを見てびっくり、果樹園だった一部の区画に、宿泊施設、事務室、管理人室、食堂、体育館など立派な建物が完成していました。(ただ、合同のシャワー施設は未完成でしたが・・・。)
  宿泊施設に、荷物を置き、夕食のため孟村賓館に戻ったら、大勢の人が。明日の式典に参加する人でにぎわっていました。
  ここで、やっと呉連枝老師に対面することができましたが、式典に参加される人への挨拶で忙しそうでした。

【2006年12月30日】
  早朝に呉秀峰先師のお墓の前で礼拝があるとのことでいたので、起きて宿泊施設の部屋の窓から外を見ると雪が舞っていました。お墓までは、歩いていける距離だけど、お墓の前はただでさえ寒いのに、大雪とは・・・。
  大雪に関係なく、礼拝が開始。寒かったですが、違った文化(宗教)を見られる貴重な経験でした。

  朝食後、体育館において式典が30分遅れで開始。式典に参加されている方も、高名な方や初めてお目に掛かる方など様々でした。呉連枝老師の挨拶や参加者からの祝辞などが終わった途端、祝砲が。それも体育館内で。案の定、体育館の天井の一部が破損。こういうことは、中国人らしいといえば中国人らしいですが。
  また、式典の開始の遅れと昼食の時間のため、体育館前にある石碑の除幕式と表演会が同時に開催。除幕式の様子を撮影していたため、表演会で良い撮影ポイントが確保できなかった(泣)。表演会では、日本代表として、服部先生、周佐さん、渡邉先生たちは小架を、服部先生ほか東京組は劈掛拳を表演しました。

  昼食後、国際八極拳訓センターに戻り、フリータイムになったので、昨年、習った「苗刀」などを練習。その後、服部先生の中央電視台の取材があるため、関係者を残し、手持ちぶさたになった者で、買い物に行くことに。
  夕食後の夕宴会にて表演会が急遽執り行われることになり、日本からも代表者を出すようにとの話。上田さんが太宗拳でエントリーすることに。確か、夕宴会は踊りを見るだけだったはず・・・。また、そこが中国人らしいといえば中国人らしいですが。夕宴会ですが、京劇、歌、表演会の構成。中国には何度も来ていますが、生で京劇を見るのは初めて。

【2006年12月31日】
 式典が終わったこともあり、朝から呉連枝老師が来られ、みんなで隣にある果樹園を散策。歩きながら、呉連枝老師から国際八極拳訓センターの隣にホテルを建てる話を聞きました。本当に建てそう、だけど・・・。その後、鉄獅子を見たことがない人がいることもあり、大偉氏案内のもと鉄獅子観光に。使ったバスに「公安」の字が・・・。いつものように、鉄獅子前で記念撮影。鉄獅子も段々と補強が増えているなぁ。

 午後、自主練習していたところ、常玉剛先生が来られ「苗刀」の復習と「劈掛拳」の起式を教えていただきました。昨年の「苗刀」の套路は、初心者コースだったらしく、技が追加されていましたが、ほんのさわり程度で終了。また、対連の妙法などを教えてもらい、いよいよ「劈掛拳」に突入。始まった途端、みんなで???の嵐でした。呉連枝老師の「劈掛拳」ではなく、約15年前に常玉剛先生本人から習った「劈掛拳」とも違った套路でしたから。体の使い方にも厳しい指導が入って、地獄を味わいましたが、それ以上によい経験になりました。
 その後も「劈掛拳」の3人での対練も教えてもらいました。

 夕食は、恒例の羊肉のしゃぶしゃぶ。新井さんが期待していたものですが、大量に出てくるので早々にギブアップしてるし。ポン酢も持参していたが、肩すかしだったようです。新井さん、ポン酢は羊肉のしゃぶしゃぶを毎晩のように食べさせられた後だと、ありがたみが出てくるんですよ。

 宿泊施設に戻り、孟村賓館にある風呂に行くことに。中国人はあまり風呂に入る習慣がないのに、孟村賓館に大浴場があるのはある意味斬新でした。垢すりもあったので、試したけどあまり気持ちが良いものではないなぁ。2階より上は違ったコースがあるみたいですが、試すのは「浪漫一生、一生後悔」です。
 孟村賓館から戻り、みんなで新年を迎えるべく一室に集まり、0時になったと同時に、恒例の「新年、好!」の大合唱。

【2007年1月1日】
 午前中は、またまた恒例の餃子作り。そう言えば、昨年は青県に招待されたために、餃子作りをしていなかったなぁ。餃子作りは楽しいのだけど、いざ食べるとなると大量の餃子で苦しい。

 午後は、楊傑先生が来られて、「四朗寛」を教えていただきました。また、上田さんが「太宗拳」を習っているところに相乗りしたり、途中、「行劈拳」の話になり、各套路の細かいところが聞ける場になり、大変勉強になりました。
 夜は、孟村最後の夜と言うことで、食堂で大宴会。歌ったり、記念撮影が始まったりと大盛り上がりでした。また、そこで初めて中国でもおか持ちで、料理の出前もあることを知りました。

【2007年1月2日】
 楽しい日は過ぎるのが早いとよく言いますが、孟村を離れる日です。滄州市内までバスの移動でしたが、またまた登場、「公安」バスです。
 それにしても、新藤さんのお土産の「老滄州」の3箱(計36本)にはあきれるのを通り越して、感心してしまった。

 呉連枝老師との別れを惜しみつつ、大偉氏案内のもと滄州市内まで。大偉氏とも別れ、滄州市から高速バスに乗って北京までの移動。
 北京到着後、タクシーにてホテルまで移動し、ホテル到着後、集合時間と場所を決めて、王府井へショッピングに。またまた、書店で大量に本等を購入してしまった。行きより荷物の重量が増えているし。
 集合時間近くになったので、集合場所に移動し、恒例の北京ダックの食い倒れや屋台街を冷やかした後、ホテルの戻り、夜遅くまでビールなどを片手に色々なことを語り合いました。

【2007年1月3日】
  朝食後、渡邉先生達は飛行機の便が違うので、ホテルで渡邉先生達とは分かれ、自分たちはタクシーで北京市内から北京空港に向かい、北京空港での出国手続きも無事に済ませ、北京空港を出発。夕刻、ほぼ予定どおり成田空港に到着。入国手続きや税関もすんなりと終わりましたが、さすがに新藤さんのお土産には税関の職員も唖然だったのでは。成田空港にて自宅へと帰途につきました。

 最後になりましたが、ここではまだ書ききれない様々な出来事があり、そして、色々な体験をすることができたのは、式典等で忙しい中、気を遣っていただいた呉連枝老師たちをはじめ、旅のコーディネートをしていただいた周佐さん、また、服部先生及び同行の諸兄の方々のおかげだと思います。本当に、ありがとうございました。

以上


   
 

本部教室指導員 森 豊和



早朝から始まる呉秀峰公のお墓参り。

日の出前の薄暗い中、お祈りの声が響きます。
イスラム独特の帽子が印象的です。 呉連枝老師を囲んで、同行者の皆さんと。
八極拳国際培訓中心落成式にて。

祝辞を述べられる前中国武術協会主席、徐才氏。

記念表演会にて、常玉剛師兄。 劉連俊師兄。
六合花槍の表演。 中央電視台第七局の取材。
司会者・カメラマンと共に。 夜の表演会にて、上田指導員による太宗拳。
対練のコツを習います。 常玉剛師兄に難度の高い劈掛拳を習う。
まだ開門式です。 厳格な姿勢の要求。



 
今年も2006年年末から2007年年始にかけて八極拳発祥の地・孟村へ行くことができた。
自分は昨年に続き2回目の渡中だった。
今回は先代呉秀峰老師の生誕100周年と逝去30周年の記念行事とともに、孟村に設立された八極拳中心センターの完成式も同時に開催された。

初日
12月28日の朝一番の飛行機で、一路北京へと出発した。
関西からの参加者と合流するため北京にて一泊した後、孟村に向けて出発することとなった。

2日目
ホテルにて朝食の後、いよいよ孟村に向けて出発することとなった。
昨年は北京より滄洲まで高速バスでの移動だったが、今年は汽車での移動となった。
海外汽車初体験だったため、少々緊張したが新鮮で楽しみながら移動ができた。
滄洲に到着し昼食をとった後、いよいよ孟村に出発し、今回お世話になる宿泊施設に到着した。
しかし宿泊する施設をみておどろいた、前回みた果樹園の一角に、その当時は影も形もなかった「八極拳中心センター」なる施設が出現していた。
施設内には宿泊施設はもちろん体育館・食堂もあり、練習環境が充実していた。
施設内を探索しているうちに夕食となり、宴会会場に移動となった。
会場はレストランを貸し切りにし大勢の来賓が終結していた。
宴会が始まり呉連枝老師を初め多数の方が挨拶をされていた。
自分も雰囲気にのまれたようで、かなり酔ってしまったが、宿泊所に戻り2日目が終わった。

3日目
この日は、朝早くに呉秀峰老師のお墓参りとなった。
小一時間の参拝が終わり、朝食会場に移動、食事は呉秀峰老師が好物だったメニューとのこと。
その後八極拳中心センターに戻り、呉秀峰老師の記念行事と今回完成した八極拳中心センターの除幕式となった。
この後表演大会となり、我々開門拳社も先生を筆頭に七名で劈掛拳を表演することとなりかなり緊張した。
お昼を少し回ったあたりで表演会も終わり、行事が終了、昼食となったがやはり昨晩と同じで大勢での昼食(お酒も少々)となった。
行事はすべて終わったのだが、服部先生のテレビ取材があり、そのあいだ関西の周佐先生に先導をお願いし、孟村内の散策をした。
宿舎に戻ると晩餐会となり、1日が終わった。

4日目
朝食の後、今回初孟村の方もいたため、名物・鉄獅子を見物にいった。
その後昼食をとり、半日ではあったが呉連枝老師の高弟のお一人常先生より劈掛拳をご指導いただく機会ができた。以前より練習していた劈掛拳とは異なっており、身法等かなり高度になっていた。
この日の練習の際、思いがけず常先生より対練を直接ご指導いただく機会がめぐってきた。いままでの、先生や先輩方とはまた違った感じの対練となり大収穫だった。
練習に励むうち日も暮れ夕食の時間となった。
夕食は噂に名高い羊のしゃぶしゃぶだった。昨年もいただいたが、今回も一度は体験したかった。
宿舎に戻った後、なんと孟村の銭湯を体験することができた。年末ということもあり、一年の汚れを流せたように思えた。

5日目
朝食をとった後、お疲れの中呉連枝老師自ら果樹園を案内をしていただいた。
その後、宿舎に戻り、中国では新年の恒例となっているようで、全員で餃子作りをし、全員で餃子を食べた。しかし作るといっても皮と具は用意していただいていたので詰めるだけだったが。
午後は呉連枝老師の高弟のお一人、楊先生に四朗寛をご指導いただくことができた。
動作・套路の思想等をご指導いただき、充実した内容となった。
練習を夕方まで行い、宿舎にて孟村最後の晩餐会を開いていただいた。
今回はそれまで呉連枝老師を初めご子息の方々・高弟の皆様と席をご一緒できる機会がなかったので、最後にお疲れの中、楽しい宴を開いていただいたことがとても嬉しかった。

6日目
この日で孟村最終日となる。
朝食をとった後、帰路につくこととなった。前回もそうだったが長いようで短く、もう帰る日になったのかと感じ、帰るのが少々遅い気分となった。
帰りは滄洲まで送っていただき、そこから高速バスにて北京に向かった。
前年より寒く、雪も降った日があり少々時間がかかったが、無事北京に到着。
すでに夕方となってしまい、少し街を歩き食事となった。
夕食は豪華に北京ダックを囲んだ。その後屋台を散策した後、ホテルに戻り軽い宴をし、最終日が終わった。

最終日
帰りの飛行機は昼の出発だったため、ゆっくり朝食をとりホテルで関西の皆さんと別れ、北京空港に向かった。
北京空港を昼に出発し、夕方成田空港に到着した。
思ったより空港は空いており、手荷物が行きよりかなり増えたが、手続きもスムーズに進み無事入国することができた。
そして空港にて解散となり無事に帰宅することができた。

今回の孟村では宴の時間が多かったが、そんな中、呉連枝老師の高弟、楊先生・常先生等にご指導いただく時間ができ、とても充実した旅行となった。
最後に通訳など多々ご迷惑をおかけしてしまった服部先生を初め、今回のツアーを手配していただいた周佐先生、渡邊先生・関西から参加された方々、森指導員・上田指導員・山崎指導員・新井さん・田中先輩ありがとうございました。



本部教室 進藤宏明



鉄獅子はあいかわらず勇壮です。 八極生態園(果樹園)の前で、呉連枝老師と。

冬場は凍っていますが、魚がいる池です。

鹿もいます。
一部の関係者だけでもこの大人数。 呉老師のご子息、大偉氏(右から二番目)を囲んで
餃子大会。 送別の宴席にて。
楊傑師兄と常玉剛師兄。 北京にて、恒例の北京ダック。
おまけ。(酔拳)

 

今回は、大きなイベントが二つ重なり、めまぐるしい孟村行きとなりましたが、貴重な機会にお招きいただき、呉連枝老師を始め孟村の皆様には大変感謝しております。
同行された皆様、お疲れ様でした。

呉連枝老師公式サイトに写真がたくさんupされていますので、そちらもごらんください。

開門拳社代表 服部哲也