2006年年始 孟村レポート
以前孟村へ訪れたのが1999年年末から2000年年始。それから早6年の歳月が過ぎました。6年前、中国武術の里といわれている滄州へ初めて足を踏み入れた時、なんとも言えない感動を今でも覚えています。
再びこの地へ訪れることが出来たのが今年、2005年年末でした。二度目の孟村。今回新たな感動が感じることが出来ました。また、多くの方との『出会い』を体験し、何よりも呉連枝老師の偉大さをより感じることが出来た時間でした。
2005年12月28日
二度目の孟村。今回都合上、服部先生、開門拳社指導員のみなさんとは別行動となり、2日遅れで北京へ入りました。服部先生のご親友である周佐さん、日本八極拳法研究會の渡邉先生と北京空港にて合流し、北京での一夜を共にさせて頂きました。周佐さんと渡邉先生にお世話になりながらも翌日北京駅から滄州へ向かいました。
12月29日
目が覚めるとそこは中国語の飛び交う中国に来ていたことに改めて実感が沸き、これから向かう孟村での出来事を楽しみに北京駅へと足を運んだ。北京駅での人の多さといったら日本の通勤電車なみの多さであり、また汽車に乗り込む様も同じような思いで走り飛び乗るように大変な思いでした。中国では当たり前のようです。
広大な景色を見ながら3時間ほど、ようやく滄州駅に着き「ここまで来た」と風景を見て実感しました。駅前から呉連枝老師、服部先生へ連絡を入れさせて頂き、滄州までの到着をお伝えしました。
滄州駅の近くで昼食を取り、この食事の場所も一般の方が訪れる食堂のような所で、これがまた中国に来たという実感が沸く出来事の一つでした。腹を満たし、食堂の裏口を出るとそこはバスターミナルになっており、滄州から各地方へ向かうバスが数限りなく並び、その中の一台に『孟村行き』のバス(マイクロバスのようなもの)で孟村へと向かいました。バスで1時間半ほど走り終点までの道のり。終点手前で見覚えのある町並みが出てきた時に、すぐに前回お世話になった呉連枝老師のご子息、呉大偉老師のご自宅を発見することが出来ました。
懐かしい感じを覚えながらご自宅へと向かうと、既に服部先生と指導員の方々が苗刀の練習をしている最中でした。そこには6年ぶりにお会いする常老師の姿もあり、久々にお会いする常老師に感激しました。また、自分と初めてお会いしたときの年号や細かな出来事などを鮮明にお話して頂き、覚えて頂いていたことに嬉しくまた感動しました。呉連枝老師、呉連枝老師の奥様、呉大偉老師と再会し、お変わりが無いことに、また、歓迎して頂いたことに嬉しく思いました。
その後、指導員の方々に苗刀の套路を見せて頂きました。この時自分の中では全て覚えきれないのではと思いましたが、一目見て『勉強したい』という気持ちが強かったです。すぐさま支度し、練習に参加させて頂きました。これがまた難しく感じましたが、直ぐに面白みが出てきて興味がそそられました。
12月30日
朝起きてから直ぐに見よう見真似で覚えた套路を練習しはじめました。自分はただでさえ2日遅れで着きましたので、少しの時間も練習したいと思いました。初めは覚えにくい動作が多く手間取ってばかりでした。
午後から呉連枝老師がテレビ局の取材があるとのことで同行させて頂きました。その場所は体育館を貸しきり、豪華なセットが既に組まれており、ここで呉連枝老師が取材を受けることになるのかと改めて呉連枝老師の偉大さを知りました。司会者の質問にお答えになる呉連枝老師の姿は「かっこいい」の一言でした。話が進み、呉連枝老師の表演を見ることが出来ました。その後に世界に広がっている八極拳の話になり、服部先生へのお話になり、司会者の質問に答えられる服部先生も格好がよく、感動しました。
お世話になっている呉大偉老師の自宅へ戻ると直ぐに練習を始め、もっともっと勉強し、頑張りたいという気持ちになりました。それからしばらくして関西から来られるまーぐーさん、ちゃおべんさんも合流し、今回来られる日本人が全員揃いました。
12月31日
この日も朝から練習をはじめ、少しずつ覚えてきた苗刀の套路の練習に励みました。
1日1日少しずつ覚えて、練習する度に「なるほど、なるほど」とまた面白くなり、時間を忘れてしまうほどでした。
刃筋の流れ方から、足の運び、一つ一つがやはり苗刀をこなす為の動きであり、また苗刀は長い刃の為、体の使い方、動き方で変わってくるという難しい武器であると思いました。
この日はある意味自分が待ち望んでいた日でもありました。滄州の名物『鉄獅子』を見学に行くことでした。個人的に太古の遺産、遺物などに興味があり、しかも滄州の名物であるという『鉄獅子』は歴史からも興味をもつほどのものでした。
昼食を取った後、呉連枝老師の果樹園へと案内して頂きました。その広さは果樹園に沿っている一本道の端が見えないほどと説明したらよいのでしょうか、果樹園の中には牛が何頭もいる牧場や鹿の専用の建物までがあるほどでした。この後に武術館を建てられるとのお話もあり、その功績や人との交流は呉連枝老師の偉大さを語っているかのようでした。また呉連枝老師の交流の深さは町を歩いているときにでも色々な方々が呉連枝老師に声をかける程で、有名だからだけではなく、一人の人間としての大きな器をもたれている方だからこそだと思いました。自分もこれから先の人生で人としての大きな器をもつようになりたい、呉連枝老師のようになりたいと改めて思いました。
呉大偉老師の自宅に戻ったあと、呉老師の拝師弟子である青県の劉老師が見えられました。以前から流星錘を得意の一つとされているとお聞きしたことがあり、一度お会いしたいと思っていました。失礼な話ご無理を承知で服部先生に劉老師の流星錘を見せて頂きたいとお話したところ通訳して頂き、その技を見せて頂けることになったのが今でも夢のように思います。今まで見た表演とはまったく別のものに見え、これが武術家の武器の使い方というものを見せて頂きました。
またこの時学んでいた苗刀も見せて頂き、あれだけの長い刀を実際に戦っているかのように使いこなしているのを見て、何も言えず、正直腰が抜けました。劉老師のご子息にも九節鞭を見せて頂き、その体の柔らかさといいあっけにとられるほどのものでした。昔自分も九節鞭を学んだことがありましたが、そのスピードは自分が本気で回した速さがご子息にとってはただの肩慣らしの早さでした。劉老師とご子息の動きは驚きの一瞬の出来事でした。
2006年1月1日
日本では元旦を迎えにぎわっている中、この日も朝から苗刀の練習を始めました。自分の中では苗刀の面白さににぎわっていました。覚えの悪い上、下手なので、その時までに覚えた套路を繰り返し練習しました。息も白く見えるほどの寒さでしたが、なぜか苗刀の練習をすると体が解れてくるほどで、無理の無い動きが套路にはやはりあるのではないかと思いました。
この日は昨晩いらした劉老師から食事に招待して頂けるとのことで青県へ行くことになりました。このようなことを体験できたことに幸せを覚えました。それは青県に着き、食事をしているときのことでした。劉老師の正式弟子の方たちとの交流が出来たことでした。立場が全く違う自分と一緒に飲みましょうと話し掛けてきて頂き、楽しいといって頂いたことでした。この時ばかりは嬉しさのあまり倒れるほど酒を飲み明かしました。
その後初めて白蝋杆の畑に行き、今まで使っていた武器がどのように作られているのかを知りました。そこから移動して劉老師の武術学校へ行きました。まだ若い生徒さんの表演を数多く見せて頂き、その動きは子供とは思えないほどでした。
青県から戻り感じたのが、今回は多くの『出会い』を体験したということでした。
1月2日
孟村最後の日。朝食を取り北京へと直ぐに向かう予定でした。朝早くから呉連枝老師とご家族の方に見送って頂きながら、名残惜しい孟村を後にしました。北京へは滄州から高速バスで向かいました。そのバスの中でも孟村での出来事を思い出し、また新たに学んだ苗刀の動作も思い出していました。北京に着いてから天安門広場等を回り、食事を済ませホテルへと戻りました。
1月3日
飛行機の予約上、自分は北京へ残り、服部先生、周佐さん、渡邉先生、指導員のみなさんは先に日本へ帰国されました。この日は故宮等を回り、観光を楽しみました。いろいろ周佐さんにはお世話になりました。ありがとうございました。
1月4日
午後の便で帰国する予定でしたが、朝早くに宿を出て空港へと向かいました。色々なことがあった今回の中国でしたが、この時は帰るのに少し寂しい感じもありました。
2回目の孟村。なんとも多くの出来事、出会い、初めて体験することがあった時間でした。今回北京へ来てから帰るまで周佐さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。また渡邉先生にもご迷惑をお掛けしたのではないかと思います。いろいろありがとうございました。
最後になりますが呉連枝老師、ご家族の皆様、また服部先生、周佐さん、渡邉先生、指導員のみなさんありがとうございました。
本部指導員 上田一成
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