2005年孟村紀行

 2005年年末から2006年年初にかけて恒例の孟村訪問を行いました。今回は、東京から私を含めて5人、また、関西から来られた方たちと合わせて総勢9人と大人数での孟村訪問となりました。
  学習内容は、かねてより希望の多かった「苗刀」を習い、その他にも呉連枝老師へのテレビ局取材、青県武術学校訪問など盛りだくさんの内容になりました。
  開門拳社から2人、初めて孟村に訪問した者がおり、彼らの感想文も掲載しましたのでどうぞご覧下さい。

開門拳社代表 服部哲也



 
●六世呉秀峰公のお墓参り   ●三世呉公・五世呉会清公のお墓参り

2006年 初めての孟村旅行

 今年初めて、念願だった八極拳発祥の地・孟村に行くことがかなった。
 自分は、国外に出るのも初めてだったので、緊張と楽しみで出発当日を迎え、朝早くの飛行機で出発、そして北京空港に到着した。
 北京空港からタクシーで、北京市街のバスターミナルに移動し、バスで滄洲に移動、さらにタクシーに乗り孟村に到着した。
 孟村と海外初体験で感動しながら、今回宿泊させていただくことになった、呉連枝老師のご子息・呉大偉老師のご自宅に到着した。
 タクシーより降りた所、呉連枝老師が出迎えに来て下さった。しかし、呉連枝老師の笑顔の後ろからテレビカメラが登場した。
 今回、事前に服部先生より30日前後にテレビの取材が来るとはお聞きしていたが、すでに来ていたため困惑した。しかし、30日あたりに取材にくるのは中央電視台でも第7局でこの日来ていたのは、第1局だった。
 そして少し休憩した後、食事に行くことになった。食事は、うわさの羊のしゃぶしゃぶだった。そして、やはり白酒の登場もあった。
 しゃぶしゃぶは、噂どおりおいしく、量も大量だった。しかも白酒も地元産らしくその名も“老滄洲”これもまたなかなかおいしかった。しかし、肉の量については以前より少なくなっていたようだ。

 2日目
 この日は、前日にも来ていたテレビの取材で、午前中は取材の協力をすることになった。
 まずは、自宅庭で練習風景と套路を録り、その後移動し、呉老師と呉会清老師の墓石のある場所に行きお参りをさせていただいた。その際も撮影をされ、また移動し、今度は別の場所にある呉秀峰老師の墓石に行きお参りをさせていただいた。そこでは、呉秀峰老師の墓石の前で、冷たい風の吹きすさぶ中、かなり緊張しながら呉連枝老師を先頭に小架一路を表演することになった。
 その後宿にもどり、昼食のあと、呉連枝老師は取材の続きがありご不在になり、午前中よりご一緒だった高弟・常玉剛老師に今回のテーマであった苗刀を習えることになった。
 練習の前に苗刀を探しにそばの店に行ったが苗刀はなかったので、苗刀のない人は周りにある棒や短棍で常老師のもと練習を開始した。
 一度常老師に苗刀を表演していただき、その後、段階を分けて習うことになった。
 常老師の表演を拝見し、今まで日本で拝見させていただいた雰囲気とは、また違ったように感じ、今後の練習に生かせるような気持ちがした。
 苗刀の基本功は特になくすぐに套路に入った。いままでに習った器械とは少々違い、しかも劈掛門の器械とのことなので、難しく感じたが、なんとか続けていくうちに楽しくなってきた。その日は、全体のだいたい1/3程度進んだところで時間が来た。
 この日は、呉連枝老師は取材のため、常老師が夕食を作って下さり、常老師や呉連枝老師の奥様と夕食をとりながら、いろいろなお話を服部先生の通訳のもと、お聞きすることができた。

 3日目
 この日は、午前・午後ともに外出する予定はなく、1日かけて苗刀に専念できた。
 この日で、約2/3あたりまでいったと思うが、やはり先に進むにつれ動作・要求ともに高度になり、かなり難しくなってきたが、繰り返しながら何とかここまでの分は途中止まりながらも覚えることができた。そして苗刀とは関係なく、練習の休憩の際、常老師と前靠をやらせていただいたが、車にはねられたかのような衝撃で数回やるのがやっとで鞭打ちになるかのようで、すごいの一言だった。

 4日目
 前日同様に1日練習ができ、この日の午後には、套路を最後まで進めることができた。
 ちょうど、最後まで套路が進み、繰り返し練習をしていたところに、大阪の渡邉先生・周佐先生・上田指導員が到着した。この日は、ちょうど日も落ちそこで練習が終了した。
 この日の夕食は、かなりの人がいらっしゃっており、呉連枝老師の高弟の一人李俊義老師が見えられた。本物を拝見したが、かなり威圧感のある方で、飲んでいた席で洗礼をあびた方もいらっしゃったようだ。

 5日目
 この日は常老師がいらっしゃらなかったため、午前中は苗刀の復習を行いながら、あとから合流された渡邉先生・周佐先生・上田指導員にはこちらの復習を兼ねて全員で研究しながらゆっくり練習をした。
 午後は、呉連枝老師が中央電視台第7局の取材を受けることになっており、一緒に見学させていただいた。取材の中、日本から正式弟子の服部先生と生徒が来ているとの話題になり急遽、服部先生にインタビューがあった。その後、全員で表演をすることになってしまった。突然のことで、緊張する間もなくカメラの前で小架一路をやることになってしまった。取材も無事終わり、帰宅が夕方になってしまった。
 夕食の時間となり、2回目のしゃぶしゃぶに行くことになった。
 この日は、関西からまーぐーさん・ちゃおべんさんが来ることになっていたため、到着待ち時間があった。その間に、呉連枝老師のお弟子さんの劉老師がご子息とお弟子さんがいらっしゃっており、劈掛拳や通背拳を、劉老師には、苗刀の一部と流星錘を表演していただいた。どれもすごく、日本ではなかなか拝見できないようなレベルの高さだった。そして、一段落したころにまーぐーさん・ちゃおべんさんが到着し一緒に食事をした。

 6日目
 この日は、自分も含め2人が始めて孟村に来たということで、名物鉄獅子と呉連枝老師所有の果樹園を見学に連れて行っていただいた。以前に本で見たことのある鉄獅子よりも、腐食の為に支えの足が増えてはいたが、博物館の中を見学でき楽しかった。果樹園は、広大で牛・鹿などの飼育もしていた。

 7日目
 この日は、苗刀の復習をする予定でいると、数日前にお会いすることができた劉老師が私たちを招待したいとのことで、急遽 青県まで行くことになった。
 ちょうどお昼ごろに到着し、豪華な料理がならぶなか、昼ではあるが、ビールと白酒が大量に登場した。この席には、白酒の製造会社社長がいらっしゃっていた。
 そして、ほろ酔い気分とはいいがたい酔いになったころお開きになった。
 その後、車に乗り荒れた道路を行き突然土手の上に到着、あやしい林が前に出現した。
 なんとその林は、槍や棍に使う白蝋の木だった。実際に生えているところを見るのは、始めての上、ほろ酔い気分もあり少々興奮気味となってしまった。
 かなり寒いところにあり酔いもさめ始めたころまた移動し、到着した先は劉老師が校長を務めていらっしゃる武術学校だった。
 そこで学校の生徒たちが、表演を披露してくれた。
 その後、帰宅したがすでに暗く昼の酒・食事ともに消化する間もなく夕食になり、この日は練習することもなく、飲正月のようになっていた。

 8日目
 この日は帰国のため、朝食後北京にむけ移動することになった。
 短い時間であったが、一週間お世話になった家をあとにするのは、少々さびしい気分だった。
 移動はまず呉大偉老師のご自宅のそばで、バスに乗り一路滄洲に移動、そこより高速バスで北京まで移動することになった。しかし、行きのバスとは違い大きくゆったりとしており、快適に北京まで行くことができた。
 北京に到着し、まずホテルに行き荷物を置き、その後、天安門に地下鉄で移動、その後、商店街を歩き天安門広場に行った。
 天安門広場はとにかく広く、風がなかったため寒さはきつくはなかった。しかし、風があるときは、とても寒く歩くのもきついようだ。
 そろそろ、夕食の時間になり、王府井にバスで移動し、本屋にて少々買い物をしつつ屋台街にいった。数人が串焼きなどをつまみながら歩いた後、北京ダックの老舗、全聚徳本店で北京ダックを食べた。そして、しばらく町を徘徊した後、バス・地下鉄を乗り継ぎ、ホテルにもどり部屋に集合し軽く(?)飲みながら談話した後解散となった。

 最終日
 飛行機が朝早い便だったため、ホテルを6時に出発、眠いながらもタクシーから北京の町をながめながら北京空港に行き、出国手続きを済ませ無事帰国となった。
 そして、あっという間に初めての孟村旅行は終わった。

 1週間の間にいろいろな楽しいことがあり、いろいろな方々にお会いでき、とても充実した日々となりました。
 最後に今回孟村でお世話になりました、呉連枝老師御夫妻・ご子息の呉大偉老師御夫妻・常玉剛老師・その他朝食・昼食・夕食の準備やその他いろいろ世話をしていただいた方々には、大変お世話になりました。この場ではありますが御礼を申し上げたいと思います。
 ありがとうございました。
 そして、今回の孟村旅行に参加させていただいた服部先生、初日からご一緒させていただいた森指導員・須原指導員、あとから合流しお世話になった、渡邉先生・周佐先生・上田指導員、さらに後日入れ替えのような形で少しの間ですがご一緒させていただいたまーぐーさん・ちゃおべんさん、大変お世話になりました。
 貴重な体験をすることができ楽しく過ごすことができました。
 ありがとうございました。
 またご迷惑お掛けしてしまいますが、また孟村旅行に参加させていただきたいと思います。そのときは、またよろしくお願いします。
 

本部副指導員 進藤宏明




 
●常玉剛師兄に苗刀を習う   ●常玉剛師兄の要求はなかなか厳しいです





 2005・12・26〜2006・1・3まで開門拳社 服部先生のもとで団を組み、呉氏開門八極拳発祥の地 孟村へ行ってまいりました。

 26日は9:00成田発の飛行機で昼すぎに北京空港に到着。そのまますぐタクシーに乗り1時間ほどかけて滄州行きのバス乗り場に着き、そこから3時間のバスの旅が始まりました。
 バスは決して乗心地の良いものではなかったのですが、乗りあった人たちは皆優しく、混んでいるにもかかわらずわざわざ座る場所をつくってくれて「座れ座れ!」と言ってくれたり、体の不自由な人がいれば皆で抱えて降ろしてあげたりとても温かみがありました。

 そして滄州に着き、そこからタクシーで40分でやっと私達の泊まることになる呉大偉老師のお宅に到着。外はもう暗く、門が開き中へ入ると、黒い帽子をかぶった呉連枝老師が出迎えてくださいました。
 と、ここまでで私が感じたことは、まず交通ルールが日本とはかなりギャップがあったこと。
 たとえば道路の横断は車の来ないタイミングを見て渡る。クラクションも日本では本当に危ないときに鳴らしますが、中国では合図の意味なのか常にそれを鳴らしている状態でした。
 呉連枝老師にお会いしてホッとしたせいか、ここまで来るのは大変だなと思いました。

 さて、到着するや否や、なんと中央電視台(テレビ局)の方々が来ており少々インタビューをした後、一緒に羊のしゃぶしゃぶ“シュアン羊肉”を食べに行きました。噂通り、量は凄かったのですがいつもより少なかったそうです。
 そして、そこで初めて呉連枝老師の高弟である、常玉剛老師とお会いしました。予備知識で聞いていた方とは思えないほどとても気さくで温和な優しい方と感じました。(後日に予備知識通りの方と感じましたが…)
 この日は移動で疲れたせいか、皆早く寝ました。
 
 27日は朝食を食べ皆で、呉エイ先生、呉会清先生、そして少し離れた広い大地の上に建った呉秀峰先生の墓標にそれぞれ叩頭をし、中央電視台の要望もありその前で小架一路を表演しました。

 帰ってから、今回のテーマとなった苗刀を常老師より教えていただきました。常老師の教え方は厳格、そして細かく丁寧で個人的には非常にわかり易く、無理なく動作を覚えることができました。言うまでも無く身法はとても難しく、さすが劈掛門の器械なだけあり劈掛の身法が未熟だと燕のような鋭く綺麗な動作は出来ないと感じました。
 その夜、呉連枝老師と呉大偉老師は中央電視台との仕事がありご不在で、常老師と呉連枝老師の奥様と一緒に夕飯を食べました。食べて飲んで少々落ち着いた頃、八極拳の技術的な話で盛り上がり、私が常老師の中心を打つというシチュエーションとなり、隣の席に座ったままの状態で打ち、確かに中心を狙い当たってはいるが手応えが無く全てかわされていました。
 ここまでは良かったのですが…。
 次の瞬間振り解けないような拿力で手首を掴まれ、テーブルの横の広いスペースにてもう一度。私がかわす瞬間の身法をもっとよくみようと注意し打ったその時、左頬に衝撃が走りました。私は、かわすことも、いや反応すらできず打たれていました。

 28日、早朝、各自起きて昨日までの復習をして朝食を食べ、常老師よりこの日は一日中苗刀を教わりました。今日は套路の2/3まで進み、あと少しというところでした。

 29日、早朝から昨日の復習を各自でして朝食後、常老師も来て下さり午前の練習で、一応苗刀の套路を最後まで終わり、午後は皆でゆっくり何度もくり返し止まりやすい箇所をスムーズにしたり、復習をしました。

 しばらくすると、日本から関西の周佐先生と渡邊先生、そして開門拳社の上田指導員が到着しました。私達も小休止し、少々落ち着いた後に皆で動作を確認しながら復習をしました。夜は3人も加わりにぎやかに夕食を食べました。しばらくすると、李俊義老師がおいでになり、宴はよりヒートアップしました。

 30日、午前は復習、午後からは別の中央電視台の撮影が近くの大きな体育館で八極拳と呉連枝老師について対談形式で行われました。常玉剛老師、李俊義老師そして楊傑老師とそうそうたるメンバーがあつまり、呉連枝老師の小架や器械、常老師を相手に用法の紹介に圧倒されました。その夜、日本からまーぐーさんとちゃおべんさんが到着しました。

 31日、朝は苗刀の復習をして、午後は鉄獅子と呉連枝老師の果樹園へ行きました。鉄獅子のまわりの博物館には歴史や著名な人物を紹介する展示物があり、個人的にはたくさんの古代兵器が飾ってあることに少々興奮してしまいました。夜は、大偉老師と団らんしながら年を越しました。

 1日は孟村に滞在する最終日。呉連枝老師の拝師弟子である劉老師の住む青県へ行くことなり、車で片道1時間半かかる場所で、わざわざ劉老師一門総出で出迎えに来ていただき、昼食と劉老師の武術学校に招待していただきました。
 とても広い校舎で体育館へ行くと、その生徒さん達が入れかわり立ちかわり、見事な表演を見せてくれました。孟村へ帰り、夕食を食べ、最後の夜は呉連枝老師と皆で遅くまで話をしました。

 2日、午前中に孟村を出発しました。
 呉連枝老師ご夫婦そして呉大偉老師ご一家に見送られ、北京へ向かいました。呉連枝老師、呉大偉老師あっての呉氏開門八極拳ですが、やはりその原動力はその奥様方なのだと思いました。また、私たちをもてなし、世話をして下さったすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
 夕方前ごろ、北京へ着いて少々落ち着いた後に、王府井という買い物が出来る繁華街を歩きました。特に印象に残っているのが、食べ歩きするようなたくさんの屋台があり、蠍やヒトデなどが…。私は食べる勇気がありませんでした。夕食は北京ダックを食べ、ホテルで少々飲みなおし就寝。

 3日、早朝北京空港へ向かい午前9時半発の飛行機で日本へ帰りました。
 旅中、服部先生、周佐先生には私たちを気にかけて下さり、ありがとうございました。特に、言葉の面ではほとんど通訳をしていただくありさまで申し訳ございませんでした。もっと、もっと中国語の勉強を頑張ろうと思います。
 また、これから孟村へ行きたいと思っている方は絶対に言葉が必要だと私は思います。

 最後に、いろいろ文化の違いに驚くこともありましたが八極拳のすばらしさ、人の温かさなどを感じることができ、必ずまたここに来たいと強く思いました。

 

本部指導員 須原和彦




 
●中央電視台第七局の呉連枝老師取材風景

 
●呉連枝老師の用法解説の相手は、常玉剛師兄

 
●司会者からインタビューを受ける私(聞いてませんでした)   ●呉連枝老師の華麗な剣の表演


2006年年始 孟村レポート

 以前孟村へ訪れたのが1999年年末から2000年年始。それから早6年の歳月が過ぎました。6年前、中国武術の里といわれている滄州へ初めて足を踏み入れた時、なんとも言えない感動を今でも覚えています。
 再びこの地へ訪れることが出来たのが今年、2005年年末でした。二度目の孟村。今回新たな感動が感じることが出来ました。また、多くの方との『出会い』を体験し、何よりも呉連枝老師の偉大さをより感じることが出来た時間でした。

2005年12月28日
 二度目の孟村。今回都合上、服部先生、開門拳社指導員のみなさんとは別行動となり、2日遅れで北京へ入りました。服部先生のご親友である周佐さん、日本八極拳法研究會の渡邉先生と北京空港にて合流し、北京での一夜を共にさせて頂きました。周佐さんと渡邉先生にお世話になりながらも翌日北京駅から滄州へ向かいました。

12月29日
 目が覚めるとそこは中国語の飛び交う中国に来ていたことに改めて実感が沸き、これから向かう孟村での出来事を楽しみに北京駅へと足を運んだ。北京駅での人の多さといったら日本の通勤電車なみの多さであり、また汽車に乗り込む様も同じような思いで走り飛び乗るように大変な思いでした。中国では当たり前のようです。
 広大な景色を見ながら3時間ほど、ようやく滄州駅に着き「ここまで来た」と風景を見て実感しました。駅前から呉連枝老師、服部先生へ連絡を入れさせて頂き、滄州までの到着をお伝えしました。

 滄州駅の近くで昼食を取り、この食事の場所も一般の方が訪れる食堂のような所で、これがまた中国に来たという実感が沸く出来事の一つでした。腹を満たし、食堂の裏口を出るとそこはバスターミナルになっており、滄州から各地方へ向かうバスが数限りなく並び、その中の一台に『孟村行き』のバス(マイクロバスのようなもの)で孟村へと向かいました。バスで1時間半ほど走り終点までの道のり。終点手前で見覚えのある町並みが出てきた時に、すぐに前回お世話になった呉連枝老師のご子息、呉大偉老師のご自宅を発見することが出来ました。

 懐かしい感じを覚えながらご自宅へと向かうと、既に服部先生と指導員の方々が苗刀の練習をしている最中でした。そこには6年ぶりにお会いする常老師の姿もあり、久々にお会いする常老師に感激しました。また、自分と初めてお会いしたときの年号や細かな出来事などを鮮明にお話して頂き、覚えて頂いていたことに嬉しくまた感動しました。呉連枝老師、呉連枝老師の奥様、呉大偉老師と再会し、お変わりが無いことに、また、歓迎して頂いたことに嬉しく思いました。

 その後、指導員の方々に苗刀の套路を見せて頂きました。この時自分の中では全て覚えきれないのではと思いましたが、一目見て『勉強したい』という気持ちが強かったです。すぐさま支度し、練習に参加させて頂きました。これがまた難しく感じましたが、直ぐに面白みが出てきて興味がそそられました。

12月30日
 朝起きてから直ぐに見よう見真似で覚えた套路を練習しはじめました。自分はただでさえ2日遅れで着きましたので、少しの時間も練習したいと思いました。初めは覚えにくい動作が多く手間取ってばかりでした。

 午後から呉連枝老師がテレビ局の取材があるとのことで同行させて頂きました。その場所は体育館を貸しきり、豪華なセットが既に組まれており、ここで呉連枝老師が取材を受けることになるのかと改めて呉連枝老師の偉大さを知りました。司会者の質問にお答えになる呉連枝老師の姿は「かっこいい」の一言でした。話が進み、呉連枝老師の表演を見ることが出来ました。その後に世界に広がっている八極拳の話になり、服部先生へのお話になり、司会者の質問に答えられる服部先生も格好がよく、感動しました。

 お世話になっている呉大偉老師の自宅へ戻ると直ぐに練習を始め、もっともっと勉強し、頑張りたいという気持ちになりました。それからしばらくして関西から来られるまーぐーさん、ちゃおべんさんも合流し、今回来られる日本人が全員揃いました。

12月31日
 この日も朝から練習をはじめ、少しずつ覚えてきた苗刀の套路の練習に励みました。
 1日1日少しずつ覚えて、練習する度に「なるほど、なるほど」とまた面白くなり、時間を忘れてしまうほどでした。
 刃筋の流れ方から、足の運び、一つ一つがやはり苗刀をこなす為の動きであり、また苗刀は長い刃の為、体の使い方、動き方で変わってくるという難しい武器であると思いました。

 この日はある意味自分が待ち望んでいた日でもありました。滄州の名物『鉄獅子』を見学に行くことでした。個人的に太古の遺産、遺物などに興味があり、しかも滄州の名物であるという『鉄獅子』は歴史からも興味をもつほどのものでした。

 昼食を取った後、呉連枝老師の果樹園へと案内して頂きました。その広さは果樹園に沿っている一本道の端が見えないほどと説明したらよいのでしょうか、果樹園の中には牛が何頭もいる牧場や鹿の専用の建物までがあるほどでした。この後に武術館を建てられるとのお話もあり、その功績や人との交流は呉連枝老師の偉大さを語っているかのようでした。また呉連枝老師の交流の深さは町を歩いているときにでも色々な方々が呉連枝老師に声をかける程で、有名だからだけではなく、一人の人間としての大きな器をもたれている方だからこそだと思いました。自分もこれから先の人生で人としての大きな器をもつようになりたい、呉連枝老師のようになりたいと改めて思いました。

 呉大偉老師の自宅に戻ったあと、呉老師の拝師弟子である青県の劉老師が見えられました。以前から流星錘を得意の一つとされているとお聞きしたことがあり、一度お会いしたいと思っていました。失礼な話ご無理を承知で服部先生に劉老師の流星錘を見せて頂きたいとお話したところ通訳して頂き、その技を見せて頂けることになったのが今でも夢のように思います。今まで見た表演とはまったく別のものに見え、これが武術家の武器の使い方というものを見せて頂きました。
 またこの時学んでいた苗刀も見せて頂き、あれだけの長い刀を実際に戦っているかのように使いこなしているのを見て、何も言えず、正直腰が抜けました。劉老師のご子息にも九節鞭を見せて頂き、その体の柔らかさといいあっけにとられるほどのものでした。昔自分も九節鞭を学んだことがありましたが、そのスピードは自分が本気で回した速さがご子息にとってはただの肩慣らしの早さでした。劉老師とご子息の動きは驚きの一瞬の出来事でした。

2006年1月1日
 日本では元旦を迎えにぎわっている中、この日も朝から苗刀の練習を始めました。自分の中では苗刀の面白さににぎわっていました。覚えの悪い上、下手なので、その時までに覚えた套路を繰り返し練習しました。息も白く見えるほどの寒さでしたが、なぜか苗刀の練習をすると体が解れてくるほどで、無理の無い動きが套路にはやはりあるのではないかと思いました。

 この日は昨晩いらした劉老師から食事に招待して頂けるとのことで青県へ行くことになりました。このようなことを体験できたことに幸せを覚えました。それは青県に着き、食事をしているときのことでした。劉老師の正式弟子の方たちとの交流が出来たことでした。立場が全く違う自分と一緒に飲みましょうと話し掛けてきて頂き、楽しいといって頂いたことでした。この時ばかりは嬉しさのあまり倒れるほど酒を飲み明かしました。
 その後初めて白蝋杆の畑に行き、今まで使っていた武器がどのように作られているのかを知りました。そこから移動して劉老師の武術学校へ行きました。まだ若い生徒さんの表演を数多く見せて頂き、その動きは子供とは思えないほどでした。
  青県から戻り感じたのが、今回は多くの『出会い』を体験したということでした。

1月2日
 孟村最後の日。朝食を取り北京へと直ぐに向かう予定でした。朝早くから呉連枝老師とご家族の方に見送って頂きながら、名残惜しい孟村を後にしました。北京へは滄州から高速バスで向かいました。そのバスの中でも孟村での出来事を思い出し、また新たに学んだ苗刀の動作も思い出していました。北京に着いてから天安門広場等を回り、食事を済ませホテルへと戻りました。

1月3日
 飛行機の予約上、自分は北京へ残り、服部先生、周佐さん、渡邉先生、指導員のみなさんは先に日本へ帰国されました。この日は故宮等を回り、観光を楽しみました。いろいろ周佐さんにはお世話になりました。ありがとうございました。

1月4日
 午後の便で帰国する予定でしたが、朝早くに宿を出て空港へと向かいました。色々なことがあった今回の中国でしたが、この時は帰るのに少し寂しい感じもありました。

 2回目の孟村。なんとも多くの出来事、出会い、初めて体験することがあった時間でした。今回北京へ来てから帰るまで周佐さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。また渡邉先生にもご迷惑をお掛けしたのではないかと思います。いろいろありがとうございました。
 最後になりますが呉連枝老師、ご家族の皆様、また服部先生、周佐さん、渡邉先生、指導員のみなさんありがとうございました。

 

本部指導員 上田一成


孟村旅行記

 平成17年12月26日から平成18年1月3日にかけて、中国の孟村回族自治県(以下、「孟村」という。)に行ってきました。今回の旅の目的は、約4年ぶりの孟村であり、呉連枝老師の夫人や高弟の方々に会うことと、「苗刀」を学習することでした。ただ、滞在期間中に中国のCCTVの取材があるとの話を伺っていたので、滞在の間どんなことになるのか期待半分、不安半分でした。

【12月26日】
 先発として、東京から服部先生、須原さん、進藤さん、私の4名が予定より少し遅れ気味で成田を出発。北京空港にはほぼ予定どおりに到着。空港から北京市内へはタクシー、北京から滄洲までは高速バス、滄洲から孟村まではタクシーと、行程中様々な出来事がありつつ、約10時間の長旅でした。
今回滞在する呉連枝老師のご子息である大偉氏のご自宅に到着すると、呉連枝老師たちの出迎えを受けましたが、呉連枝老師たちの後ろにカメラが構えられ、出迎えのシーンを撮り出したのにはびっくりしました。後で聞いたところ、CCTVの2つの部署が別々に取材することとなっており、今来ている部署は偉人を紹介する番組を制作しているとのことでした。
 さらに、大偉氏のご自宅に入って驚かされました。以前に比べ大幅に改修されたとの話を聞いていたのですが、想像以上に立派な家になっており、家の中は各室暖房付き、居間には大型プラズマテレビ(40インチ?)、風呂場兼トイレには電気温水シャワー、水洗トイレ、自動洗濯機が設けられていました。自分が今住んでいる寮以上の設備…。ただ、改修に伴い、練習に使う庭が若干狭くなっていたことが残念でした。

【12月27日〜29日】
 27日の午前中は、昨日に引き続き取材があり、我々にも参加するようにと言われ、我々が庭で小架や単打などの練習をしている風景や呉エイ、呉会清、呉秀峰各先師の墓を参っている風景が撮影されました。呉秀峰老師の墓の前では、CCTVからのリクエストがあり、寒風吹きすさぶ中で小架を表演させられるサプライズがありました。
 27日午後から、常玉剛先生から「苗刀」を学ぶこととなりました。最初、常先生の表演を見たら、素早い動作の切り替え、八極拳の刀や槍に見られない動作、さらに套路が長く、滞在期間中に覚えられるのか一瞬絶望感にみまわれました。常先生もそんな我々を見透かしたのか、一つ一つの動作をゆっくり、丁寧に教えてくださったので、何とか動作を覚えていくことが出来ました。常先生からいろいろな注意点がありましたが、特に注意された点は、我々が八極拳の武器になじんでいるため、「苗刀」は劈掛拳の武器であり、劈掛拳の身法を使わなければならない点でした。また、「苗刀」の用法も巧妙で、合理的な使い方になっており、教えていただいている間関心ばかりしていました。ただ、自分が用法の説明を受けている際、もう少しで孟村に骨を埋めかけ…。(汗)
 28日〜29日は一日中「苗刀」の練習。何とか、3日間で全套路を何とか覚えることが出来ました。
 29日夕方に、東京組の上田さん、関西組の周佐さん、渡邉さんが到着。やっぱり、大偉氏のご自宅には3人ともびっくりしていました。

【12月30日】
 午前中は、前日到着した3人と一緒に「苗刀」の動作を確認しつつ練習を行いました。
 午後からは、CCTVのもう一つの部署の取材があり、その取材に参加することとなっていました。この部署は呉連枝老師の半生記を紹介するトーク番組を制作するらしく、別の所に部屋を借りているとのことでしたので、我々も移動することとなりましたが、ホテルの一室だと思っていたら、連れられていった場所が小学校の講堂(以前は講堂しかなく、昔ここで短棍を習った懐かしい場所だった。)で、中には立派なステージが作られており、背景には呉連枝老師の写真とバーチャファイターの晶(なぜか、眼鏡をかけて無精髭。)の絵が掛けられ、本格的なトーク番組の撮影場所になっていました。客席も多くあり、我々も前から2列目に座らされ、始まるのを待っていると、多くの人が入りだし客席が埋められていき、ほぼ満席状態となりました。
 呉連枝老師の半生記を紹介しつつ、武術の理論や表演などを織り交ぜつつ番組は進行されていましたが、ちょうど日本から習いに来ていることもあり、正式弟子である服部先生へのインタビュー、またステージ上で我々も小架を演じることとなってしまいました。
 非常におもしろい経験でしたが、ただ司会者の呉連枝老師へのインタビューの中で、不躾な質問があったことには、こういうところは日本も中国も変わらないなぁと思いました。
夜になると、呉連枝老師のお弟子さんであり、軟兵器を得意とする劉先生がご子息とお弟子さんを連れて訪ねてこられ、お話をしている内に、急遽軟兵器の表演をして頂けることとなり、九節鞭や流星錘などを見せていただけて感激しました。特に、ご子息の体の柔軟性には、皆が感心するほどでした。
また、関西組の馬谷さん、橋本さんが到着し、これで孟村に総勢9人もの日本人が滞在することとなりました。

【12月31日】
 孟村に全員が揃い、希望者もいることから、この日は孟村を観光することとなりました。観光先は定番の鉄獅子と呉連枝老師の果樹園。
 鉄獅子は、地元でも観光する場所としては唯一らしいです。鉄獅子は、老朽化が進んでおり、支えが増えていっているよう。周りに、簡単な博物館があるのですが、ここは以前に比べきれいに整理されていました。
 果樹園も以前に比べ、区画が整理され、鹿や牛も増え、更に魚の養殖をするための池を作っているところでした。

【1月1日】
 当初は、「苗刀」の学習をする予定だったのですが、急遽劉先生から新年会の招待を受けることとなり、河北青県まで行くこととなりました。孟村から青県までは、車で1時間30分ほどかかる位置にあり、着くとすぐに招待所で新年会が開催されました。劉先生の夫人を筆頭に、ご子息、お弟子さんなど関係者が多く出席され、それはそれは、口では言いあらわせないほど大変なことになって…。
  酔いが覚めるまもなく、劉先生が校長をしている武術学校に移動することとなり、途中、槍や棍に使われる白蝋の木が生えている林に寄った後、武術学校に到着。広大な敷地に学校と体育館が建てられており、少し休憩した後、生徒さん達の数々の表演を見せて頂きました。やはり、日本に比べレベルが高いことを改めて感じました。

【1月2日〜3日】
 2日は、名残惜しいが孟村を離れる日。馬谷さんと橋本さんは5日まで孟村に残るため、7人は午前中に孟村を離れ、約5時間の道のりを、乗り合いバスと高速バスを乗り継ぎつつ北京に向かいました。
 北京に到着し、ホテルにて一休みした後、夕食までの散歩がてら天安門を見にいくこととなりました。以前に来たときは寒風が吹いて寒い経験をしていたが、今回は風もなく気温も低くなく、散歩にはちょうど良かったです。その後、お土産を購入し、北京ダックの食い倒れや屋台をひやかした後、ホテルの戻り、夜遅くまでビールなどを片手に色々なことを語り合いました。
 3日になり、早朝北京空港に向かい、そこで東京組と関西組に分かれ一路日本向け帰路につきました。

 9日間にわたり、色々な出来事がありすぎ、疲れましたが、今までにない色々な経験ができ、非常に楽しい日々を過ごすことが出来ました。
  ひとえに、今回の旅でお世話になった呉連枝老師たちをはじめ、旅の手配までしていただいた服部先生及び同行の諸兄の方々のおかげだと思っております。ありがとうございました。

 

本部指導員 森 豊和



 
●恒例の鉄獅子参観

 
●鉄獅子博物館の中にある古代兵器の数々

●呉大偉氏と鉄獅子の前で笑顔でツーショット


 
●呉連枝老師の所有される果樹園で、苗刀の用法を習う   ●Sha(笑)

 
●青県・劉連俊師兄の武術学校を訪問し、生徒さんたちの表演を見せてもらいました

●本邦初公開・白蝋杆畑

 
●孟村の街並みを行く奇怪な格好の日本人たち   ●夜の天安門。特に意味はありませんが綺麗だったもので…


 今回も、実り多い孟村行きとなりました。お世話頂いた呉連枝老師はじめご家族の皆様、諸師兄、同行の皆様、ありがとうございました。
  来年は孟村で、「大活動」があります。参加されたい方はご一緒しましょう。

開門拳社代表 服部哲也



2005孟村紀行

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