2013年 呉連枝老師講習会レポート
今年のゴールデンウィークも、呉連枝老師を招聘しての講習会に参加させて頂きました。今回はなんと、呉連枝老師のお孫さんである呉昊君が一緒に来日され、たいへん熱心にご指導くださいました。呉昊君は現在16才との事ですが、初めての海外渡航先に日本を選んで下さったのは、たいへん光栄な事だと思います。今年は4月27日の内功五法、4月28、29日の六合刀、5月3、4、5日の八極拳上達法の六日間に参加する事ができ、とても充実した連休を過ごさせて頂きました。
初日は内功五法の講習会でしたが、今回もかなり多くの時間を両儀功の解説に費やして下さいました。
呉連枝老師は「内功法の第一の目的は養生で、第二の目的は技撃です」と仰いました。八極拳はとても激しい発力を伴いますので、練習者の健康を守り、怪我を防ぎ、寿命を伸ばすために、昔から様々な研究がなされて来たものと思われます。
なかでも第一功の「両儀功」は、八極拳のあらゆる招式の原型であり、骨組みでもある両儀の完成度を上げるうえで、とても重要な役割を担っているようでした。今回非常に興味深かったのは、両儀功のときに、小周天功と同様に任脈・督脈についてのご説明があり、含胸抜背や沈肩墜肘、頭頂藍天や懐抱嬰児などの要求に添うことによって、様々な経絡がスムーズに繋がるようにする、というお話でした。両儀功の時は、非常にゆっくりとした自然呼吸だったと思いますが、この呼吸に合わせて、他の内功法と同じように様々な経絡の流れがあるとすれば面白いのですけれども、私の様に腰痛持ちだったり首に凝りがあったりすると、きっとその辺りで「途切れてる」んだろうなあと思ってしまいました。
また「真っ直ぐ立つ必要があるが、人体にとっての真っ直ぐは直線ではない」、というお話も非常に大切なことの様でした。全身の全ての部位が、大小様々な円で構成されているという事は、ある招式の定式の時に「開き切っている関節がない」ように思われますので、例えば伸び切った肘を折られたり、突いた自分の力で痛めたり、という事も起こりにくくなるはずです。ですが、全ての関節を同時一瞬にコントロールするのは、かなり難しいことだと思いますし、ましてその「両儀」が変形するともなれば、知識で知っているだけの事はあまり役に立たないでしょう。だから例えば「定式になったときに、関節が丸みを帯びている感覚」の方を覚え込む必要があるのではないかと思いました。その感触が保たれていれば、自分の力が自分のどこかの関節に集中して、ダメージが返ってくる様な事もなくなるのではないでしょうか。
また様々な呼吸の訓練によって行気も大きくなり、攻撃力の増大だけではなく、自分の内臓を保護してくれるようになるそうです。これは恐らく站椿功だけでは実現できず、やはり怪我や病気から自分の体を守ってくれる技術だと思われます。
そして懸肢貫指功では、呼吸とともに幾つかの経穴を気が巡ってゆく様子をイメージしますが、吸うときと吐くときで、腕の外側面のツボを通ったり、内側面のツボを通ったりします。このあたりは、站椿功が定式の形を整えるのに対して、定式に至るまでの力の通り道に関係しているのかも知れません。
その他の要求についても、それぞれ理由があるように思われますが、とても難しい内容を含んでいるようで、理解が遠く及ばないのは例年の通りでした。恐らく、外側の形は站椿とあまり変わらなくても、同時に意識を訓練するための方法が伝わっており、その目的の中には、一発打つぞというときの、内側の心の状態を作り出す練習まで含まれているのではないかと想像しています。
呉連枝老師をはじめとして、八極拳の達人といわれる方々は、とても強い心をお持ちです。いざという時でも、条件反射のように「戦える精神状態」を作り出すことができるように見えますが、修練の量に裏打ちされた自信の他に、内功のような練習が関係しているのかも知れないと思いました。
続く2日間は刀の講習会で、呉昊老師に「六合刀」をご指導頂きました。
六合刀は八極拳に古くから伝わる刀の套路で、長拳の刀に近い技術が含まれているそうです。私は六合刀という套路の存在自体を知らなかったのですが、八極拳の六合刀はさらに三つに分かれていて、それぞれを「六合刀」、「提柳刀」、「四門刀」と呼ぶそうです。そして呉連枝老師は六合刀の事を「花刀」つまり華美な刀であると仰いました。「提柳刀」が実用を旨としているのに対して、六合刀の華美な動作は身法を養い、刀の操作の基本を学ぶことができるそうで、今まであまり外部に公開した事はないということです。
小架の歌訣のなかに書かれていたり、呉家の嫡男であられる呉昊君が現在、提柳刀より六合刀をたくさん練習しているということからも、その重要性がうかがい知れますが、今回驚いたことは他にもありまして、それは「提柳刀」の方はもともと套路ではなく幾つかの単式であったということと、とても重要そうな武器の套路が「更にふたつ」も出てきてしまったことです。
私が見たことのある武器の套路は、まだそんなに多くないとは思うのですが、この様子ですと「いったい全体ではあと幾つの套路が存在するのだろう」と恐い事を考えずにはいられません。武器に限らず、まだ見たこともない套路や招式がたくさん存在することは間違いなく、あらためて八極拳という体系の巨大さを感じました。
また「提柳刀」は、呉連枝老師のご父君である呉秀峰公が、単招式の集合体であったものを套路へと編纂され、套路として練習するようになったのはその時期以降の事だそうです。今回、提柳刀の元々の単式動作を呉連枝老師にご指導頂きましたが、単式の重要な用法が含まれている限り、套路の順序はそれほど厳密なものではないとの事でした。門内に伝わっている提柳刀の套路に、それぞれ細かな違いがある理由も理解できましたが、今後はもっと単式の練習量を重視する必要がありそうです。
六合刀はもの凄く長い套路ではありませんでしたが、長拳の技法が含まれているせいか、旋風脚や二起脚といった「個人的にゼッタイ無理」な部分が何ヶ所かあり、せっかくご指導頂いた呉昊老師には申し訳なかったのですが、旋風脚は裡合腿で、二起脚は拍脚にて勘弁して頂きました。残念ながらこれらは、練習しても飛べるようになる気がしませんです。自分の努力不足を歳のせいにしてはいけませんが、套路全体の雰囲気も「若い頃から練習する」カリキュラムのように感じられます。
しかしながら、例に漏れずいつも感動してしまうのは、八極拳がいかに入門者の上達に配慮した練習体系を持っているか、という点です。もちろん私は他派の練習法について、何か言及できるほど見聞きしている訳ではありませんが、傍目に見て「入門者に特殊な才能を求める武術」というのも、少なからずあるように思います。表現が難しいのですが、呉氏開門八極拳は「ひとりでも多くの人を、すこしでも上達側に引っ張り上げてくれる」練習体系を持っていると思います。
新しい套路をご教授頂くといつも思うのですが、まずは一人で練習できるようになるまでが最初の難関で、とにかく順序だけでも頭の中に残ったところが練習のスタートラインになります。当然中身はひどいもので、どの套路も練習の効果が出始めるまでには、長い時間がかかります。私は入門後はじめての武器は「提柳刀」の新套路を教えて頂いたのですが、基本功、特に小提柳のあまりの動けなさに閉口して、套路そのものまで忘れてしまった苦い思い出があります。
今回も基本功の中に難しいものがありましたので、おなじ轍を踏まないよう気を付けなければなりません。基本功ができていないために套路全体がドヘタクソで、ヘタクソだから練習したくなくなって、では前に進みませんから、当面中身が滅茶苦茶でも仕方がないと割り切る必要があります。今回ご指導頂いた六合刀は、まだ順序を覚えたばかりの段階ですが、足の動かし方が難しく、すでに一部曖昧になりかけている部分がありますので、教室の皆さんと補完し合いながら、提柳刀と一緒に練習を続けていきたいと思います。
5月3日からの3日間は徒手の講習会でした。
立ち方などの基本功から始まり、単招式、六大開拳、小架や単打・対打などを通じた八極拳の上達法がテーマです。また習練呉氏開門八極拳歌や用肘歌、用腿歌などを題材に、練習や実戦での運用の要領について、丁寧に解説して頂きました。
呉連枝老師は、あれこれ理屈を考えて練習しないことを「口八極」と呼び、良くないことですが、練習はするが何も考えていないというのも、また上達を妨げると仰いました。今回の講習は「練習をするときに考えておくべき事」について、かなり掘り下げた内容です。
まず呉家三拳について以前から気になっていたのですが、冲拳と撑掌は見た目の形がとても良く似ています。八極拳の招式は基本的に両儀の変化であり、冲拳、撑掌、向捶ともに両儀の変化である事に変わりはないそうですが、八極拳の招式の中には他にも実に様々な形があり、重要な三つを挙げるとして、その中の二つが非常によく似ている形に見えるのは、とても興味深いことだと思います。これには二つの可能性が考えられると思いました。
一つには、冲拳と撑掌には、見た目以上にとても重要な相違点があるという可能性です。特に、呉秀峰公は「撑掌が完成すれば、八極拳が完成したことになる」と仰っていたそうですが、なぜ冲拳ではなく撑掌なのか、という事についてです。
そしてもう一つは練習量のバランスに関するもので、跟提歩の発力練習量1に対して、闖歩の発力練習量2が、必要である可能性です。前者は半歩のまま使えるが比較的発力が小さく、後者は基本的に上歩する前提だが発力が大きい、招式を代表している可能性があります。これはどちらも的外れかも知れませんが、どちらかというと「口八極」な私は、練習の中から答えを探すべきなのでしょう。
また六大開の陰陽について、今回の講習でも詳しく解説して頂きましたが、ここはとても難しい部分だと思います。
呉連枝老師は以前の講習会で「小架の全ての定式は両儀の変化ですが、定式と定式の間は両儀ではなく六大開です」と仰っていました。無形純陽式と無形純陰式は、この定式の一瞬を表しており、定式の両儀には攻撃と防御どちらの要素も含まれているそうですが、それが主に防御の作用を表したときが無形純陰、攻撃の作用を表した時が無形純陽、ということなのかなあと思いました。
そして啓動は六大開とは別のもので、このときに力を入れてはいけない、との事ですので、啓動から六大開までが過程で、この間は放鬆、発力・行気して成招する一瞬が無形純陽・無形純陰で、これが結果を表しているようにみえます。定式は両儀の変化で、攻撃の中に防御の要素も含まれており、防御の中に攻撃の要素も含まれているという部分が、太極図の老陽の部分に描かれた小さい陰の点であり、老陰の部分に描かれた小さい陽の点なのかも知れません。
また成招して定式になるのに、無形と呼ぶのもちょっと不思議な感じがします。もしかすると最終的には招式の種類はすべて消えてしまって、攻撃の作用が主体の場合は純陽(+小さい陰)、防御の作用が主体の場合は純陰(+小さい陽)、の二種類しか残らないのかも知れないと思いました。そう感じた理由が、今回老師に質問してみた「回身での投げ」についてです。
以前服部先生が、渡邉先生主催の講習会にて、呉連枝老師が向捶か降龍かの回身動作で人を投げるのをご覧になった、というお話をして下さいました。それ以来、その動きをひと目見てみたいと思っていましたのでお聞きしてみたところ、「回身動作で人を投げるとすればそれは『摘身換影』でしょう。代表的な動作はこの様にしますが、その当時は、たまたまそういう状況になったから自然に投げたのだと思います。だから細かい動作は私も覚えていません。これを無形といいます。」と仰いました。
当時私はこれを、向捶なり降龍なりの「招式」の奥深さとして認識していたのですが、実際にはその向こうにある「無形」に関するお話であった事を知り、少しショックを受けています。つまり呉連枝老師は恐らく「その様なシチュエーションになれば」、回身動作ばかりでなく、その他様々な招式を用いて人を投げてしまうであろう事、そして「その事を意識しておられない」であろう事がわかってしまったからです。この境地への道のりの遠さは、想像を絶するものがあります。
また今回の講習会では、私達全員の冲拳を、一人ずつ呉連枝老師に見て頂いて、直すべきところをご指導頂く機会がありました。
服部先生のお話では、普段の呉連枝老師は、たとえ学生相手であってもその人の面子に配慮して、他の人の前で「ここが良くない」というお話をされる事はまずない、という事でした。今回は服部先生から無理にお願いして、通常であれば絶対あり得ないような機会を作って頂きました。これは間違いなく、私達一人ひとりにとって「世界で一番上達への近い道」を教えて頂いた事になります。
今回ご指摘頂いた内容は幾つかあるのですが、垛歩・碾歩・闖歩のバランスが偏っていて力が漏れている、なかでも習練八極拳歌の中にある「足は地面に釘を打つ」という部分が、特に私に欠けている部分であると思いました。せっかくの機会を頂戴しましたので、今後の練習にぜひ活かしてゆきたいものです。
講習会全体を通じて、呉昊君については、今回とても素晴らしいことを沢山知る機会がありました。
呉氏開門八極拳の王子様は、人を惹き付けるとにかく魅力的な人柄で、これはもう血筋と教育の賜物としか思えません。服部先生も仰っていましたが、こんなに性格の良い子が果たして現代にどれだけいるだろうか、と思うほどです。あまり表に出さないですが、八極拳に対する取り組み方はとても真摯で、呉連枝老師はお孫さんである昊君をとても可愛がってはおられますが、こと八極拳に関しては一切甘やかす事がない、という事もよく解りました。
実は呉昊君は今回、来日前から怪我をされていて、六合刀の講習会ではかなり厳しい状態をおしてご教授下さった事がわかりました。心から感謝申し上げますとともに、一日も早い怪我からの回復をお祈り致します。
そして呉連枝老師も、昊君のお父様お母様も、そのような状態にもかかわらず、練功を一日も休ませていないのだというお話を伺って、衝撃を受けました。服部先生もだいぶ心配しておられましたが、呉連枝老師の若い頃には、夜激痛で寝る事ができないくらい酷い状態でも練功を休む事がなかった、だから昊君の怪我についても、そんなに心配する事はない、と普通に仰っていたそうです。
服部先生は「呉連枝老師のお孫さんがみえるということは、若い頃の呉連枝老師を見られるのと同じだと言われたんですよ」と仰っていたのですが、はからずもその意味が良くわかりました。私達は普段、練習をサボる理由だけは幾らでも思い付きますし、怪我をしたという事であれば、当然の様に体を休めるべきだと考えます。もちろん怪我の程度にもよるのでしょうが、根本的な考え方がすでにして全く違うのだと思い至りました。
そうして彼は日々の厳しい練功に耐え、それでいて呉連枝老師の事が大好きでとても尊敬している事、そして、いつもさり気なく老師を気遣う優しさを見る事ができました。それが文字通り、彼が呉連枝老師の「宝物」である事を物語っていたように思います。
今回の講習会におきまして、呉連枝老師、呉昊老師には六日間にわたり大変熱心にご指導頂き、感謝の言葉もございません。また期間中、高度な座学を含む困難な通訳を続けられ、なにより私達一般の学生にまで今回のような機会を与えて下さった服部先生に、心から感謝申し上げます。そして今回の講習会でも、関西からお見え頂いた渡邉先生、周佐先生、石田先生には大変お世話になりました。またいつもご迷惑をおかけしている指導員の皆様、同門の皆様、今後ともよろしくお願い致します。ありがとうございました。
土曜本部教室 高須俊郎
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