2014 夏合宿レポート
私は昔から武術に興味を持っていましたが、実際に始める機会を逸してまま年齢を重ねてしまいました。四十路になり、あらためて何か武道をやってみようと思い立ちましたが、さすがに空手などは肉体的、精神的に無理があるだろうと思い、年齢がいっていてもやれそうなイメージのある居合道か、太極拳にしようと考え、カルチャーセンターの居合道の1日体験講座に参加したことがあります。
その際に教室に通われている生徒の方から「居合は面白いけど、模擬刀や道着の購入、その他いろいろと費用がかかる。初期費用だけで約5、6万円はかかる」といわれ、それならば同じカルチャーセンターの太極拳教室のほうが安上がりでいいと考え、結局、居合は1日体験だけで終わってしまいました。(もっとも太極拳の教室も通い始めて一年で閉鎖になってしまい、偶然、同じ曜日、時間帯にあった八極拳を習うことになったのですが)
今回、思い切って合宿に参加してみようと思ったのも、苗刀という日本刀とほぼ同じ形状のものを使用して練習すると伺ったからです。心の片隅に居合道をやり損ねたことへの未練が残っていて、それを代わりに満たしてくれるのではないかと思ったのです。
こうして8月16日からの三日間、合宿に参加することになりました。
合宿へ行く数日前に渡された桐の木刀は、予想以上に軽く、いくら振っても疲れないのではないか思われるものでした。また、私は、非常に物覚えが悪い為、套路などの手順を覚えるにも人の何倍も時間がかかるほうなのですが、比較的短い套路ときいておりましたので、さすがに三日間も集中的に練習すれば何とか覚えられるだろうと楽観的な見通しをたてておりました。が、そんな甘い考えは初日の練習から裏切られることになります。
まずは刀の刃筋を立てた状態で、体側からあまり離さず縦回転で振り回しながら前進していくだけの練習が始まりましたが、これが簡単なようで難しい。最初は気をつけていても、そのうちに刀が体側から離れてしまい、どうしても綺麗な縦回転になりません。握っている柄の部分を最初に前に持ってくるようにと注意され、それを意識すると、今度は歩行がおかしくなってしまいます。徒手ではなく、手に何かを持った状態だけで、歩行もままならず、手足の動きが、無様なほどばらばらになってしまいます。
また刀を下から振り上げる際には、力任せにやるのではなく、刃筋を立てたまま、スーッと撫でるようにとも注意されましたが、この撫でるようにというのが容易ではなく、この後の練習はどうなってしまうのかと不安が募るばかりでした。
そして基本練習が終わって、いよいよ套路である「苗刀一路」の開始です。
劈掛門由来の套路との事なので、本来はとまらずに動き続ける套路なのでしょうが、今回は自分も含めて苗刀が初めてという参加者がほとんどであったため、練習では、一動作ごとに、この套路で要求される正しい動作になっているかどうかを確認しながら練習が進みました。刀を持っている上に、八極拳で正しいとされる姿勢とは異なるものを要求される為、頭も身体も混乱してしまい、套路の順序自体が一向に覚えられず、非常に苦労しました。
服部先生が、苗刀一路の一動作が進む毎に、その架式で動きを止めた状態で、一人ひとりの動作、姿勢が正しいものであるかを注意しながら見て回るのですが、何しろ膝を深く曲げた低い姿勢の動作がやたらに多く、膝が次第に震えだしてとまらなくなってしまいました。先生が笑いながら「短い套路だとは言ったけれども、楽な套路だとは一言も言ってないよ」と仰っていましたが、確かに楽な套路ではありません。
ですが私にとっての最大の鬼門は、苗刀一路の後半、ほとんど最後に近いあたりの箇所でした。刀を振り回しながら一旦、身体の向きを代え、足を踏み変えて、更に身体を半回転させて戻しながら、その間、刀も止まることなく振り回し続けるという動作があります。
私の場合、この套路に限らず、いわゆる転身して足を交互に踏みかえたりする動作が「超」苦手。加えて今回は刀をもっている状態なので、ますます頭と身体が混乱してしまい、ついに合宿の最終日になっても、この最後の箇所の動作が覚えられずに終了してしまいました。
服部先生いわく「苗刀の仮想敵は戦場で槍を持った相手」との事で、「苗刀一路」は対槍への用法で成立しているそうですが、自分自身、とてもその意味を咀嚼できる状況ではありませんでした。
呆然自失のまま三日間の練習が終わってしまった感もありますが、それでも、自分なりに発見があり有意義な三日間でもあったと思います。
まずは刀に限らず、手に何かの武器を持つだけで、姿勢、歩行だけをとっても徒手に比べて何倍も難しくなることが体感として理解できたこと。逆にいえば、武器を使っての練習は、徒手の時には希薄であった姿勢、動作なども含めた身体に対する意識が強くなる為、徒手の上達についても、徒手だけを練習している人よりも格段に早くなるだろうなと実感できました。その意味では、今回、苗刀という武器の練習を体験できた事は大きな収穫だったと思います。
また何より、刀の柄を両手で持って切る動作をしていると、時代劇の殺陣でもやっているかのような気分になり、年甲斐もなく楽しく愉快な気持ちにさせられたことが、ストレス発散効果も含めて大きかったと思います。
以下、練習以外の雑感を記します。
合宿をした野辺山は、晴れたり曇ったり、急に雷雨になるなど天候の移り変わりが激しいのですが、さすがに避暑地だけあって、終始、清々しい山風が吹き渡り、とても快適なものでした。初日の夜、バーベキューの際にも大雨でしたが、それでも雨がやんだ後の夜空は曇っているにもかかわらず、驚くほどの数の星が見えました。都会では絶対にお目にかかれない光景でしょう。
なお、バーベキューなので、鉄板焼きをするのですが、初参加の新参者として手伝おうとするものの古手の先輩方が、これは俺たちの聖域といった厳粛な面持ちで、まるで儀式に臨むかのように鉄板焼きに専念しており、とても手伝える雰囲気ではありませんでした。
合宿所の食堂のメニューはセルフサービスになっておりますが、野菜、果物、飲み物も種類が豊富で、こうした食事を毎日きちんと取っていれば、きっと毎年の健康診断でひっかかる事もないのだろうなと思いました。もっとも初日も二日目の夜も相当のアルコール量を摂取している為、この三日間で健康を取り戻せたとは思いませんが。
合宿所では、弓道部の学生と思われる方たちも練習しておりましたが、その練習量が半端ではないのにも驚きました。何しろ朝から晩まで、ずっと練習されているのです。一体いつ寝るのだろうかというぐらい練習しています。
今回、合宿に参加させて頂いたことで、横浜教室以外の方々などと話をする機会がもてたことも貴重な経験でした。横浜教室での練習だと、メンバーも固定しており、気心がしれており、それはそれでいいのですが、どうしても馴れ合いのようになってしまいがちですが、合宿では、本部や他の教室からの参加者との合同練習の為、それだけでも緊張感が違ってきます。
参加者の方もそれぞれ個性があります。練習後、教わったこと、気づいたことを熱心にノートへ手書きでまとめている方には、こちらも頭が下がる思いでした。これくらいの研究熱心さがないと上達はしないのかもしれません。
また、中には、早朝五時くらいに起床して清里までランニングに行って帰ってくるという強者もおりました。どういう体力をしているのでしょう。
このように練習時だけではわからない、各自の個性もみえるところが、合宿の面白さのひとつなのかもしれません。
最後に、このような得がたい体験をさせて頂いた服部先生はじめ参加された皆様に心から感謝します。
横浜教室 中柴 則隆
|