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今日は、青県の韓国人社長主催のツアーです。
韓国からいらしている劉榮珠先生ご一行は、私たちよりも滞在期間が短かく、先にお帰りになるご予定です。
ご帰国前の最終日となる本日は、滄州の隣の青県で武術学校を主宰している呉連枝老師の弟子劉連俊先生と、同県に進出している韓国企業の社長で滄州市韓国人会の会長でもある鄭氏のご招待で、建築中の武術学校と工場見学、そして宴会というマイクロバスツアーの一日になりました。
まずは劉連俊師兄の新しく建造中の武術学校を見学。 |
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ここにも大量のとうもろこし。そして犬。 |
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劉連俊先生の武術学校は、2013年の孟村紀行(http://www.kaimonkensha.com/kiroku/131026-1104mouson/)にもありますが、さらに新しいこの施設を建築中なのです。
トウモロコシ畑と大きな池を背にして、その建物がありました。メインの建物と体育館は大体出来ています。入り口すぐの案内パネルを見ると、武術だけでなく、卓球やバドミントンなど多種の競技名が書かれており、上階には将棋や麻雀の部屋も備えた総合スポーツ娯楽施設になる予定らしいです。 |
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内装はまだ工事中で、部屋の角に電気コードなどがぐるぐる巻いてありました。広い体育館はすでに使用しており、そこで、棍や双鈎、後日、再び孟村まで教えに来てくださった「八極棒」という新考案の套路などを見せていただきました。
敷地内では、テーマパークのような西洋の城風の建物が二棟建築中でした。何かと思えば、生徒の宿泊棟とのことでした。中国のこういった専門的な学校や、大学などは、広大な全土から生徒が集まるので、基本的に敷地内に寮があるようです。
中国での建築現場の不思議な特徴に、「工務店の制服やヘルメット、多ポケットのベストやニッカボッカに地下足袋などの専門職スタイルの人がおらず、作業者は殆ど私服のポロシャツ。まるで近所の人みたいで、建設のプロには見えない」というのがあります。
学校名を彫り込んだ立派な石碑が鎮座し、規模も大きい現場であるはずのここでも、そのとおりなので面白かったです。
また、「内装が完了しないうちに、トレーニングマシンはおろか、掛け軸や額縁入りの書、調度品、お茶セット、卓球台や麻雀台などを入れて、何となく使い始めてしまうので埃っぽくなってしまうが気にしない。壁に配電の大穴が空いていても、資材が積んであっても気にしない」という、完成しているんだかしていなんだか、なんとも中途半端な状態でした。
規模も大きく、立派な施設なのに、トイレが例のニイハオタイプ(横との仕切りも扉も無く、小さい便器が等間隔に地面に埋まっているだけ)なのにも驚きました。
驚きつつも、今まで読んだ中国旅行記や留学記などの本に出てきた「お約束」を幾つも実際に見て体験することができ、かなり面白かったです。 |
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エスプレッソな濃いお茶をいただきました。
休憩室には無造作に流星錘が置かれていました。 |
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劉連俊師兄と服部先生。
次の場所へ移動する際に、この学校の開校式にもぜひ来てほしい、と服部先生は劉連俊師兄に何度も何度も念押しされていました。交流も大変です。 |
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韓国は化粧筆など、高級ブランドのコスメツールの生産で有名です。今回の社長の工場も、韓国資本の中国支部でした。金属の筒が、加工を経て、大小さまざまなメイクブラシになります。シャネル他、有名ブランドのロゴプリントの様子なども拝見しました。地元の女性社員が、手作業で細いアイライナーなどを組み立てていました。
見学後は、青県の清真料理(イスラム教徒向けの料理店。禁忌食材が絶対に出てこないので安心)店での宴会となりました。
中国の宴会は、飲めない人に無理に飲ませるようなことはないものの、食事の途中で何度も立ち上がって「○○さんに乾杯!」など声をかけての乾杯があります。それも頻繁にあるので、落ち着いて食べていられません。
また、大きい円卓を囲んでの会話は、隣席の人以外と話すには距離があるのでどうしても大声に成らざるを得ず、さらに中国人は元々声が大きく押しが強い人が多いので、個室の中はかなりわあわあ賑やかなことになります。
だから、ホールではなく、個室タイプのレストランが多いのかもしれません。 |
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2013年に前述の学校の開校式で出会った、天津に会社を持つデンマーク人実業家のスティーンさんともここで再会しました。服部先生は握手を交わしてとても楽しそうです。 |
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酔拳のスタイルでおどける明るい劉連俊師兄。 |
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今回は、社長さんの主催のため、青県と孟村は協力して経済発展を…などと、劉さんや、呉老師、いわゆる武術関係とは関係なさそうな話題が連呼されていました。
主賓の方々は大人の対応で適度に食べて適度に飲んで、ニコニコしておられましたが、呉老師が最後の演説で、経済的な話をからめて上手くまとめていらっしゃいました。さすがです。
ごちそうになっておいて何ですが、内輪だけで行う八極拳や劉侊植さんの拝師の話題で親交を深める小規模な送別会の方が良かったのでは…と思い、帰ってからそっと服部先生に聞いてみました。
劉さんのお父上である劉榮珠先生は、韓国の「国民生活体育全国武術総合会の会長」であり、気功整体師として「国手(国一番の名手)」とまで呼ばれるご高名な方であるため、どうしてもこういった土地の名士が集まってきてしまうのは仕方がない。それは呉老師の日常でも同じく、ぜひお会いしたい、もてなしたいというお客さんが毎日のように来てしまい、付き合いとして必要かもしれないけど、外食やお酒が続くので、お疲れにならないかご家族もご心配されている。と、服部先生は少し困った顔で仰っていました。 |
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中国のお店には、必ずこの「文字が流れるネオンサイン」がついています。 |
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韓国チームとの別れを惜しむみなさん。
ツアーを終え、訓練センターに帰ると夜10時近くになっていました。
劉さんたちは翌朝6時半にはここを出発されるご予定とのこと。遅くなってお気の毒です。
呉老師のご自宅の前で、服部先生と劉榮珠先生たちは固く握手を交わし、お別れの挨拶をなさっていました。あの意味不明な工場見学や賑やかで大変な宴会のあいだも、劉先生たちは静かにほほえんでいらして、今もお疲れの様子をお見せにならず、呉連枝老師と別れのお話をされていらっしゃいました。
孟村に到着してすぐ、劉榮珠先生が、大偉さんの奥様の王国荣さんや、他の方々そして私に気功整体の治療を行って下さいました。偉い方なのに、「皆、私が治療してあげると喜ぶんだよ」と次々に気さくに引き受けるお人柄はすばらしいです。
治療を受けたら肩凝りが嘘のように軽減し、胃腸の調子もはっきりと良くなりました。劉侊植さんにも、「筋力の無い人でも体を痛めずにできる筋トレ」を教えていただきました。
文さんもずっと韓国語と日本語の通訳をしてくださいました。マンガの話でも楽しく盛り上がりました。
とても素敵な方々でした。ぜひまたお会いしたいと強く思いました。 |
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八極白猫たちに手ずからフードを与える呉老師。
(うっかり1匹逃がしてしまわれましたw 夜行性なので畑をぴょんぴょん走り回る白猫。) |
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霧の朝です。朝食はタマゴチャーハンをメインに、おかずもたくさんあります。
手前の緑色の飲み物は、ミネラルウォーターに日本から持っていった粉末緑茶を溶かしたものです。便利です。
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呉連枝老師と語り合う服部先生。 |
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八極白猫も、勝手に付けた名前で呼ぶとこっちに来るようになりました(´∀`) |
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微妙なバランスの三輪軽トラ
服部先生が呉連枝老師にお願いしてくださり、孟村の中をご案内して頂くこととなりました。
まずは、呉老師のご先祖様方、伝説の呉氏開門八極拳家の皆様のお墓めぐりです。
訓練センターから車で数分ほどの、トウモロコシ畑に到着しました。遠くではトラクターが空中にトウモロコシや葉っぱをぽんぽん舞い上げながら刈り取りを行っています。固い茎が切り株のように残っている畑の中に入っていくと、数本の木が生えている所があり、そこに真っ白で立派な、ポーチと石段も備えた石碑のようなお墓がありました。
日本でも、地方に行くとお寺の敷地ではなく自分の敷地の畑のすみにお墓を建てていることがありますが、まさにそんな感じです。真夏などトウモロコシが繁茂している時期は、埋もれてしまってかき分けて行こうにも近づけないほどとのこと。 |
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こちらには、呉老師のお父様である呉秀峰公がお眠りになっていらっしゃいます。
回族は土葬なので、お墓の後ろ側には草の生えた土まんじゅうがあります。
表面にはお名前と没年月、裏には生前の人となりなどを漢字で彫り込んであり、表の上部にはイスラム文字をあしらった丸いレリーフが埋め込まれていました。
開門拳社のサイトに掲載している過去の孟村滞在記で拝見し、見た目などはわかっていたつもりでしたが、こうして本物を目にし触れてみると、改めて感慨深いです。ご挨拶と尊敬を込めての黙祷を捧げ、お墓を後にしました。 |
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次は、孟村の旧市街「老孟村」です。
中央通りは4車線の道路(うち2車線は例のコーン)に各種お店が並び賑わっていますが、そこから横道に入って少し走ると土の道、煉瓦の家、車一台がやっとという狭い路地ばかりの地区になります。
孟村の昔ながらの建物が集まる、老孟村です。
家は、道に面した所にまず大きな門があり、その上にはリボンが風になびくような形のイスラム文字が彫られた看板(おそらく表札)がかかっています。
門のデザインも凝っていて、中国のメインカラーともいえる赤色に代わり、ラピスラズリ風の藍色に金色の文字です。中国の中に居て、さらに違う国に来たような気分になります。
家々の屋根の向こうに、高い尖塔を持つイスラム寺院が見えました。車は迷路のような路地を何度も曲がって進みます。 |
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呉会清公のお墓。服部先生の手には、呉老師がもいで下さった柿が。 |
煉瓦の塀で囲まれ、棗の木や柿の木、畑のある区画をとおり、また次の煉瓦の壁を抜けると、木々に囲まれたエリアにこんもりとした土まんじゅうが3つほどあり、その前に白い石碑が立っていました。
こちらは、呉会清公と、呉濚公のお墓です。
歴史上の方のお墓の前に立ち、その後ろの土の下にご遺体がおられると思うと、身が引き締まると同時に静かな感動があります。
お写真を撮らせていただき、また、呉老師に柿や棗をもいで頂いたりして、次に移動しました。 |
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ご先祖の方々のお墓に、きれいな花が咲いていました。 |
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憧れの三輪リヤカー。ガワを被せると、あの箱車になります。 |
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家の前に積まれた煉瓦の上には、瓜のつるが巻き付いて、直径1メートルもありそうな冬瓜の実や、へちまやきゅうりが成っていました。 |
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呉老師の弟さんのお宅拝見。門の上に掲げられたイスラム文字が特徴的です。大きなへちま。 |
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孟村のメイン通りに戻ってきました。
孟村の中心街に、大きなデパートがあります。(デパート自体の写真は、道路を渡らないと撮影できないアングルだったので撮影できず)
懐かしいマイナーな百貨店の雰囲気で、1Fは日用雑貨と食料品、2Fから上は化粧品や携帯、ファッション洋品のフロアです。入り口近くは菓子パンとケーキコーナーでした。
ショーケース内の誕生日お祝いケーキのサンプル品は、上に乗っている砂糖菓子の細工が龍だったり虎だったりいかにも中国!といった感じで、色合いも朱色や青と派手で面白いです。 |
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孟村デパートで。お祝いのデコレーションケーキも超中国風。虎が乗っているのもありました。 |
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薬コーナー。
インフルエンザにもよく効くいつも買うお薬類や、以前食べて美味しかったサンザシのお菓子、かねてより欲しいと思っていたガラスのお茶ボトルを買いました。中国のドキュメンタリー映像や、映画などで必ず誰かしら持ち歩いている透明なガラスのサーモマグのようなものです。
安いプラの物から、保温性の高い二重式の物までやたらと種類が多く、棚一面をボトルが埋め尽くしていました。
また、訓練センターの寮にいる若い人たちも使っている、中国の学校の寮生活につきものの「金属製のマイ食器セット」(円筒形の器を重ねてあり、昔のお弁当ジャーに似ている)や、いかにも回族の村らしく、魚肉ソーセージ風の「豚肉完全ゼロの、鶏肉ソーセージ」も豊富に並んでいました。 |
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訓練中心でも若い寮生がよく使っている、金属製の食器セット。複数の器を重ねてコンパクトにできます。 |
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鶏肉ソーセージ。 |
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謎のモバイルメーカー。どこかで見たようなロゴ。(元の企業も中国系に買収されましたね)
用意していった着替えでは朝晩が予想以上に寒かったので、中国にしては珠玉のかっこよさを誇るブランド「361度」のトレーナー上下を、服部先生は中国国内用のらくらくケータイを購入しました。
携帯の品揃えは、サムスンや中国製の高機能スマホと、「親孝行のプレゼントに!」とポップのついた、小さい画面に大きなボタンで電話とSMS機能だけのご年輩向けケータイに二極化していました。
服部先生は、次の中国渡航時に、そのプリペイドケータイを呉老師や呉大偉さん達との連絡に使う予定とのことです。マナーモードにしていても、起動時には必ず大きな音で音楽が鳴ったり、音質もAMラジオレベルですが、そのチープさが不思議と魅力だそうです。
プリペイドの手続きに少し時間がかかり、荷物を持って立って待っていたら、店員さんが丸イスを貸してくれました。親切が嬉しかったです。(・∀・)
このデパートで購入したものは、すべて呉連枝老師がお金を出してくださいました。また、私がフルーツ好きということを聞かれると、「これが美味しいから食べなさい」と大きなドラゴンフルーツも買ってくださいました。 |
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にぎやかな大通り。 |
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デパートの次に、呉連枝老師のマンションに行きました。
メインストリートから一本奥に入った所に煉瓦の門があり、そこをくぐるとマンションです。
周辺や階段などの共同エリアは土埃でざらざらしていますが、お家の中はとても綺麗でした。
窓の下には、にぎやかな通りが見えます。こちらには、以前、服部先生と須原教練が滞在させていただいたことがあります。
呉連枝老師の奥様に、牛肉麺をごちそうになりました。
奥様は長年お医者様として働いてこられましたが、今は引退してゆっくりとした日々を送っていらっしゃいます。豪快さと落ち着きと、厳しい母のような優しさを持った方です。デニムのハーフパンツを「夏に履きなさい」とプレゼントして頂きました!
呉老師がいつも日本に滞在されるときにお作りくださる、牛肉の味付き煮とゆで野菜、白ゴマのタレを太いきしめんのような麺にからめて食べる、さっぱりとしつつ味の染み込んだ牛肉の力強さもたまらない、とてもおいしい麺料理です。 |
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呉連枝老師のマンションにお邪魔して、お昼に奥様お手製の牛肉麺をごちそうになりました!
とても美味しかったです! |
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念願の電動箱車に乗りました。
帰りには、かねてより、写真や動画で拝見してとても乗りたかったものに乗ることができました。
それは、三輪スクーターの上に四角い客車をかぶせたような簡易タクシーのような乗り物です。私は勝手に「箱車」と呼んでいます。
遊園地のエリアとエリアを結ぶカートのようでもあり、デパートの屋上にあるマイクロ電車の遊具のようでもあり、大変かわいい乗り物です。
小さい扉にこじんまりとした室内。電動なので駆動音はヴィーン…と静かですが、サスが皆無のようで、舗装道路でもガタガタギイギイとずっと箱全体がきしんでいます。
そこがまたおもちゃっぽく楽しいです。
揺れる車内で動画を撮影しながらその狭さと、かわいいちゃちさを存分に堪能しました。
訓練センターの門をくぐり、そのままずっと入って呉老師のご自宅前まで行きました。降りながら外観の撮影を続けていると、体格の良い呉老師が小さい扉からよいしょと狭そうに降りてこられるのを拝見。車体も呉老師も大変愛らしい雰囲気でした。
その場で器用にUターンして帰って行く車体の後ろ姿もかわいかったです。 |
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羊牧場の見学をさせていただきました。肉用の羊なので、モコモコタイプではありません。たくさんいます!
訓練センターの敷地の奥では、たくさんの羊や山羊、アヒルなどを飼育しています。朝になると、鶏の声で目が覚めます。
煉瓦で囲まれた人工池では魚を養殖しています。呉老師のご自宅には燕の巣があり、縁起の良い鳥である燕がたくさん飛び回っています。果樹園には毎朝、大量の雀や、黒地に白い模様の羽根のカササギのつがいが飛来します。
敷地内を、呉老師にお願いしてお散歩がてら案内して頂きました。
羊牧場は、昨年服部先生が来訪したときには無かった施設とのこと。帰国してから以前孟村に行ったことのある開門拳社の指導員にお話ししたところ、「あの池を二つに割ったの?」「真ん中に橋を造ったの?」「羊を飼い始めたの!?」と変化に驚いていました。常に発展する八極拳訓練センターです。 |
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山羊もいます。
怖そうな大きいシェパードが数頭、羊の番をしています。羊担当の人以外には慣れていないから気をつけるようにと老師に言われ、呉老師の後ろに隠れながらそっと羊場に入りました。強烈な動物園のにおいがします。
大人しい生物の代表とされる羊ですが、30頭以上が集まってどやどやと近づいてくると迫力があります。
羊場を抜けると、果樹園と林があります。以前の孟村紀行でも何度か出てきた「棗(ナツメ)」が植わっています。冬に旬を迎える冬棗なので、今はまだ青いオリーブのような実が成っています。 |
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広大な敷地。棗農園と爽やかな林です。
この辺りは、穀物はトウモロコシを、果樹は棗を栽培している農家が多いようです。大通りでは「棗」と大書きされた看板を出している店が何軒もあり、県道でも、路肩にて三輪ライトバンの荷台に棗を満載し、棗の旗や看板をかかげた農家の直売車や、車を停めてそれを買っている人を何回も見かけました。新幹線の駅でも、棗の詰まったお土産箱を持った乗客を多く見ました。
棗は、そのまま食べることもできますが、味は甘みの少ない野生の小さいリンゴといった風味です。ドライフルーツにすると甘みも栄養も増すので、そうして売られていることが多いです。
中国では、棗は「五果」(栗・桃・李(ナシ)・杏・棗)の中でも王様とされ、健康への効能も高く、漢方薬の原料にもなっています。
林の中を歩き、少し離れた所にある大きい湖を見て、同じ小道を戻ってきました。泊まらせて頂いているお部屋から見える風景のうち、この時に歩いた分のさらに倍以上の範囲が呉老師の土地であるとお聞きして驚きました。 |
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北京でレストランに行きました。 |
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ここでは、巨大などんぶりを使うのがウリだそうです。中身は普通の量です。
味はまあまあ。孟村のご飯のほうがグッと親しみのある、毎日食べたくなる味で美味しかったです。 |
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スーパーに行きました。手前にQooが見えます。 |
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お酒をご進物に良く使う習慣があるので、多種多量に揃っています。高価な品はショーケースに入れられていました。 |
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宿泊したホテルの近くにある、王府井大通りは、ガイドブックでも大きく紹介されている観光地です。
日本の新宿や銀座の歩行者天国の倍以上の幅のある、とても広い大通りです。
国慶節で観光に来た家族連れでまさに満員!といった感じの大変な混みようでした。
服部先生とはぐれないように気をつけて歩きながら、人々の間から、ここの「王府井」の名前の由来となった、皇帝の居城(王府)の井戸の遺構をちらっと見ることができました。
昔、この大通りは皇居のお堀であり、皇后が船遊びの時に利用した井戸だそうです。
ポールとロープで囲まれた中に、龍のレリーフの入ったマンホールがありました。
割と、簡単にありました。見て納得。そんな感じです。
ゴージャスな巨大ファッションビルが幾つも建ちならび、日本の原宿あたりのそれとは比較にならないほど大きく、店も通路も広く、郊外のショッピングセンター位の広さがあります。AppleStoreやForever21など有名店もたくさんあり、若者でいっぱいでした。
連休記念バーゲンが開催され、これも、混雑の原因のようです。
ここで、日本にもあるようなおしゃれビルよりも、北京らしい所を見るべきだった!と気づき、服部先生に「老舎記念館」に連れていって頂きました。 |
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↑老舎記念館前の小道。(中は撮影禁止なので)
老舎は北京出身の小説・劇作家です。
記念館は、王府井大通りから少し歩いた裏手の通りにあります。
人通りは急に少なくなり、こじんまりとした食料品や日用品の店が並んでいます。北京名物の、瓶入りの飲むヨーグルトも見つけました。
店のかどを曲がると、奥に続く小道の両側に、煉瓦と石で出来た1~2階建ての家が並んでいます。日本の下町のように植木鉢が並べられ、庭木の緑も多く静かで落ち着いています。
ビジネスやファッションのビルが立ち並ぶ最先端の地域から、このような昔ながらの一般人の住む街区に移動すると、国を問わず懐かしい雰囲気にほっとできるものですね。
きらびやかでめまぐるしい大通りよりも、こちらのほうが好きです。
その中の一軒が、老舎記念館です。
お住まいをそのまま資料館にしており、門を入ると中庭をぐるりと囲む四合院式の建物の中に、当時の書斎や居間が残され、著書やお写真が並んでいます。全体的にコンパクトで、本当に昔の普通の北京のおうちといった感じです。とても落ち着きます。
庭には大きな鉢があり、金魚が泳いでいました。当時もそのように庭で金魚を飼っていたそうです。
生涯と作品を紹介するパネルには、「老舎は体が弱かったので、健康のために武術を習っていた」とあり、太極拳かと思いきや、剣や刀などけっこう本格的に練習していたようです。 |
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北京名物飲むヨーグルト。リターナブル瓶。 |
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ホテルからほど近い、王府井というとても有名な観光大通りを歩いてみました。この大通りは、銀座のようにブランドショップが立ち並ぶ有名な観光地です。
日本でも放映された「北京バイオリン」というドラマのロケ地となったキリスト教の大聖堂があります。その前で、中国ならではのゴージャスな結婚記念アルバムの撮影が行われています。
タキシードの新郎と肌寒いのに肩を出したウエディングドレス姿の新婦がエレガントなポーズをとり、カメラマンやダウンジャケットを持って待機するスタッフに囲まれていました。
周囲の観光客は、大聖堂と彼らをスマホでバシバシ撮影していました。
中国人は、結婚記念アルバムや記念写真の制作に、かなり力を入れる習慣があります。 そして「グラビアのようなおしゃれ結婚記念写真」を新居に飾ります。 |
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謎の猫彫刻。白と黒。 |
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北京空港はとてもきれいで、霧の流れる庭園風ジオラマもありました。 |
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羽田空港に戻ってきました。お疲れ様でした! |
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今回の旅は、開門拳社の方々や服部先生のお話による孟村の印象、写真で見た場所に本当に行くことができ、TV番組やネット記事で得ていた中国に対する予備知識についても一つ一つ実体験し、確認し、納得することができた実りあるものとなりました。
中国語が全くできず、旅慣れない私を連れていって下さった服部先生。見る物にいちいちはしゃいでうるさくしてすみませんでした。現地で何の心配もなく過ごせたのは、服部先生のおかげです。ありがとうございました。
出発前にアドバイスを下さった開門拳社の皆様、孟村でお世話になった呉連枝老師とご家族の皆様、訓練センターでお会いした親切な皆様に、深くお礼申し上げます。
本部 S |