2014.9.25~10.4 孟村訪問記

2014年9月25日~10月4日に、服部先生と開門拳社事務局Sの二人で、孟村の八極拳訓練センターを訪れました。

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2014年9月25日から10月4日まで、服部先生のお供で中国・河北省孟村の八極拳国際訓練センターに行って参りました。

中国への渡航は初めてです。以前より服部先生のお話や、開門拳社の皆様の孟村レポートなどで拝見していた土地に実際に行けることを楽しみに、飛行機に乗りました。

渤海上空から北京に近づいて行きます。

空港近く。

北京空港から新幹線の発着する北京南駅まで、タクシーで約1時間。霞ヶ関や六本木のようなビジネス街を通ります。

ほとんどのビルは、日本のビジネスビルを2棟も3棟も繋げた屏風のような、驚くほど縦にも横にも長い巨大な建造物です。発展中国!

高速を走る車も、西洋の高級外車が目に付きます。混んでいるのにそれぞれがわずかな隙間に入り込もうとして、そこかしこでしょっちゅうクラクションが鳴っています。

北京のビジネス街のビルは横にも縦にも巨大です。

郊外に出ると、観光スポットらしき清代の瓦屋根のお屋敷や、巨大公園の緑の塀が延々と続き、その間に下町風の商店や定食屋、灰色にすすけた煉瓦作りの昔ながらの一般人の家々が見えます。

電動スクーターの後ろにリヤカーを合体させたような乗り物に、一家がぎゅうぎゅうに乗り込み談笑しながらゆったり走っています。

車で一時間走っただけで、中央の未来都市から古びた落ち着く町並みに風景ががらっと変わり、30年ほど時間を巻き戻したかのようです。






北京南駅から新幹線「和諧号」に乗り、孟村を目指します。

私たちが北京に着いた日は、ちょうど、日本の建国記念日にあたる「国慶節」という祝日週でした。帰省客やおのぼり観光客でごったがえしていました。

十徳ナイフ程度の小型の刃物も、わざわざスーツケースから出して確認させられます。ウイグル自治区の動乱等があるからでしょう、テロをかなり警戒していました。  

新幹線和諧号は、日本の新幹線をベースにした白くて綺麗な車体です。切符の都合でグリーン車に乗りました。席はゆったり。飲み物や、うまい棒に似た形状で微妙な味のお菓子やクッキーの無料配布もありました。車両内専用のフリーwi-fiもありました。



日本では、都心から特急で一時間移動すると、車窓の風景は緑の木々に覆われ眼下には河が流れるような山地、トンネルや、平たく低い建物ばかりの郊外の街を通るなどの変化がありますが、この辺りはどこまでも平野が続き、土っぽい茶色の地平線かトウモロコシ畑やポプラの並木ばかりです。高架ということもあり、彼方まで見渡せます。

その中に、たまに、ぽつんと高層マンションが現れます。周囲はどこまでも畑ばかりで商店街や住宅街らしきものが全く見えない地域もあり、あれがビジネス番組などで報道される「需要や街づくりを考えない無理矢理の地区開発」の一つかも?と思いました。

そんな風景を見ながら、1時間弱であっという間に滄州西駅に到着です。新幹線が開通する前は、北京から高速バスで3時間、普通のバスだと6~7時間かかったそうです。 その距離を1時間弱で到着してしまうというのは、この新幹線の路線がいかにまっすぐに造られ、土地も山や高低差などの障害物の無い、本当に平たい大陸であることがわかります。




滄州西駅に着きました。

広くて長いホームでスーツケースを引いていると、隣の無人のホームを通過新幹線がものすごい速度で一瞬のうちに通り過ぎていきました。かなり長いはずの車両が、白くて短いかたまりにしか見えないほど速く飛び去り、思わず声が出るほどびっくりしました。

日本を観光する外国人が、わざわざ新幹線の通過駅に降り立ち、車両が猛スピードで通り過ぎるのを見て楽しむというのはこれと同じだと思いました。

駅前の石畳の広場もかなり広く、はるか向こうまで見渡せます。公安の警備のパトカーが停まっています。服部先生がロータリーを見回して、お迎えに来て下さる予定の呉連枝老師のご子息・大偉さんのお車を探していると、声をかけてくる人がいました。

韓国八極拳協会の劉侊植さんです。
今回の旅は、劉さんご一行の孟村訪問にタイミングを合わせたものでした。青島から来られた劉さんたちとご一緒になれたので、お迎えが一度で済みました。

韓国団は劉侊植さんと、彼のお父上である呉連枝老師の拝師弟子・劉榮珠先生、(韓国の武術総合会の会長でもあり、高名な気功整体師でもいらっしゃいます)、劉侊植さんの生徒の文さんの3人です。

中国語が堪能な劉侊植さんと、服部先生、大偉さんとで話がはずみます。 お迎えには、訓練センターに短期滞在しているというアメリカ人のジェームスさんという方も同乗されていました。劉榮珠先生は英語が堪能で、ジェームスさんと歓談しています。

また、文さんは、日本マンガ好きの趣味が高じて独学で日本語を身につけられ、驚くほど流暢な日本語でお話することができ、中国語、韓国語、英語、日本語と四カ国語の飛び交う不思議で楽しい道中となりました。

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孟村の八極拳訓練センターまでは、高速道路で一時間です。
孟村の手前には、中国武侠古典作品の「水滸伝」にも出てくる土地「石家荘」への分岐点もありました。

高速を降り、しばらくすると孟村の街中に入ります。
夕方6時頃なので、仕事を終えて帰宅する人でにぎやかです。
4車線あるはずのメインストリートは、2車線になっていました。 このあたりの道路は、外側から「店舗とその前の歩道」「スクーターや自転車道」「2車線の車道」「中央の白ライン」で構成されていますが、この車道の外寄りの車線が、すべてトウモロコシで埋まっているからでした。

トウモロコシが延々と道路に黄色いじゅうたんのように敷き詰められ、積み上げられています。たまに、その中にイスを置いて、農家の人手で皮を剥き続けて居ます。
もちろん車道なので、すぐ横を、車が速度も落とさず走っています。道路が2車線に狭くなる辺りでも路肩にコーンが広げられているので、車はときおり1車線を譲り合いながら走らないとなりません。

なぜ車道で作業? 邪魔では? 作物が汚れるのでは? 車が突っ込んで事故にならないの?と、私の頭の中は疑問だらけでした。
さっそく服部先生に通訳して頂き、大偉さんに質問してみても、『昔からこうだからね』とのこと。

そんな黄色いコーンロードを走りながら、服部先生が以前の孟村訪問で撮影された屋台車や、箱のような三輪タクシー、羊料理の店などを実際に眼にして「これが!あれだ!」といちいち感動しているうちに、車は横道に入りました。(服部先生、うるさくしてすみません)

横道も、積み上げられた皮と剥かれたコーンでいっぱいです。並木と昔ながらの煉瓦の家々やトウモロコシ畑を過ぎると、「八極拳訓練中心」の立派な空中看板が見えてきました。

車のまま、「河北省体工大隊 散打隊訓練基地」「孟村県公安局 巡警特警訓練基地」の看板がついた門をくぐり、どんどん中に入っていきます。
ここが、写真でしか見ることのできなかったあの孟村八極拳国際訓練センターです。



八極拳国際訓練中心に着きました!



この庭にもコーン。


IHおもてなしお茶システム。

長い平屋建ての宿舎、二階建ての練習場、大きな体育館、呉連枝老師の八極拳を表演される図案が描かれた壁、ネムノキなど、写真で見たそのものの場所に実際に着くことができました。

施設の奥で車を降り、ここがあの土地!と感動していると、瀟洒で立派な三階立てのご自宅から、呉連枝老師と大偉さんの奥様の国荣さんが迎えに出てきてくださいました。

大偉さんはあまり表情を変えることがなく、大柄で一見怖そうな感じもありますが、実は表に出さないだけで思いやりとユーモアがある方です。奥様の国荣さんは、中国自体初めてという私をいつも気づかい、何か必要なものはない?不自由はない?大丈夫?と声をかけてくださる優しい方です。

2013年5月の呉連枝老師講習会の際、初めての海外渡航先として日本の服部先生宅に滞在した呉老師の孫の呉昊君は、国立体育大学入試に向けて専門の全寮制予備校で勉強中とのことで、お会いすることはできませんでした。残念ですが、次は大学生となった昊君に再会できることを楽しみにしています。

見事な調度品。







到着した日の夜は、韓国の劉さんご一行と我々の歓迎会を、近くのレストランで開いて頂きました。ジェームスさんも同席し、中・日・韓・米4ヶ国の会合です。

大きな丸テーブルの中央に煙突のついた鍋があり、そこに羊肉のスライスを入れ、ゆだった所をゴマだれにつけて食べる羊のしゃぶしゃぶです。
日本で羊肉というと、どうしてもにおいに癖があるためタレに漬け込んで焼いて食べることが多いのですが、孟村の羊はその癖がほとんどありません。日本の羊の風味が「癖」と表現されるものだとしたら、孟村の羊肉は全く鼻につくことなどない、良い風味の食べやすい味です。
出発前に服部先生が、「孟村の羊はまったくくさみが無くて本当に美味しいので、食事については安心しなさい」と仰ったのは本当でした!

開門拳社の教練の田中さんは、この美味しい孟村の羊を先に食べてしまったため、日本に帰る前に立ち寄った北京で羊料理を食べた際、「同じ中国でも、北京の羊は癖がある…」と気づくようになってしまったそうです。
孟村の羊肉>北京の羊肉(孟村以外の産地)>日本の羊肉 ですね。

初めての中国渡航と国内の移動の緊張で疲れていた私を、国荣さんたちが気遣ってお料理をいろいろ勧めて下さいました。
回族の料理には、宗教上の理由で豚肉や豚由来の素材が全く使われていないので、ラード系の油っこさは全くありません。また、孟村は新鮮な野菜が手に入るので、産地ならではの香りの濃い美味しい野菜を羊の出汁の溶けたお湯にどんどん入れ、おいしくいただけます。

報道によると、中国の都市部などでは残留農薬の問題で、野菜専用の洗剤で洗う必要があるほどで、農薬不使用の野菜は非常に高価だそうです。
服部先生の通訳でお話とおいしいお料理を楽しみ、訓練センターに戻りました。

呉連枝老師が、以前バーチャファイターのゲーム監修でお知り合いになったSEGA(元)の鈴木裕さんに差し上げる色紙を書かれました。



朝食は訓練中心の食堂でいただきます。夏休みが終わった所なので、夏期訓練班も解散し、人が少なかったです。

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午前中から熱心に稽古をする若者たち。





お昼はみんなで食堂で頂きました。雉のお肉の料理が出ました。呉老師がお持ちになっているのは、雉の羽根です。「これで羽根ペンを作ったりするよ」



敷地内を案内していただきました。池をのぞむ、呉家一族の新居。

いつもの開門拳社の方々の孟村訪問では、宿泊棟に滞在することが多いのですが、今回は特別に呉連枝老師のご自宅に滞在させていただきました。
中国への渡航が初めてで体力が無い私に大変ご配慮いただき、本当にありがたいことです。

三階建てのお家の内装は白い大理石ベースです。中国の習慣は日本と違って靴の生活ですが、二階へ行く階段の手前でスリッパに履き替え、上階ではリラックスして過ごせるようにしてありました。

建物の中央にはソファとテーブルの広いリビングがあり、三方にそれぞれベッドや専用のシャワーとトイレがついている部屋があります。 大きな3LDKが積み重なっている状態です。 全体的に広々として、まるでテレビで見る芸能人やセレブの豪邸のようです。二階は大偉さんと奥様、お嬢さんの媛々さんと、息子さんの呉昊君のエリアです。三階は、今は空いているということで、そこに滞在させていただきました。

wi-fiもあり、水回りもとても綺麗で、快適に過ごさせていただきました。
いつも練習で使っている公共施設の部屋に近い広さのリビングを見渡して、この広さなら、八極拳の練習も十分にできますね、と服部先生と感心しながらお話しました。






周囲には畑があり、落花生ほか色々な作物を植えています。

呉連枝老師のご子息の呉大偉さん(上の写真で座って電話している方)は、呉老師によく似て上背も肩幅もある偉丈夫です。

今までのお写真のみでの印象は、強そうで真面目そう、そして少し怖そうな雰囲気を感じていました。 しかし実際にお会いしてみると、自らお車を運転して劉さんご一行と私たちを迎えに来て下さったり、内輪の食事会でも気軽に連れて行って下さり、道中、服部先生と楽しく歓談され、食事の席でも楽しそうにしていらっしゃいました。

呉氏開門八極拳の実務を取り仕切る人物として、禁煙など健康にも気を配られ、まだ喫煙されている呉連枝老師が煙草を消しかけた状態で呉大偉さんの車の助手席に乗り込んできたときは、「俺の車でタバコはやめてくれよ~!爸爸(パパ)!消して消して!」とふざけたように笑いながら煙を手で扇いでいました。

滞在中、雨が降って玄関の猫たちをケージごと家の中に入れることになった時も、まだ1才に満たない仔猫を訓練センターの若い人たちと一緒に大きい手でそうっと洗ってやる姿からも優しさが伝わって来ました。

呉老師のお宅の一階は、老師と奥様のお部屋と、老師が書をかかれるための広いテーブルや大きな用紙、画材を集めた書斎、来客用の豪華リビング、普通の家の倍の広さの食堂とキッチンなどがあります。

建物の中央に位置するリビングには、中国歴史時代劇に出てきそうな豪華な彫刻の施されたどっしりとしたソファがしつらえてあり、すぐお湯を沸かせるIHパネルが付いた卓上タイプのお茶セットでいつでも来客をもてなせるようになっています。

毎日、気が付くといつのまにか家の前まで車で乗り付けてお客さんが訪れ(服部先生によると、殆ど連絡無しに来てしまうそうです)、呉老師は嫌な顔ひとつせずに彼らの求めに応じ、まるで旗か看板かと思えるぐらい大きな紙に短時間で見事な書をしたためて渡してあげています。





呉老師は、大判の紙に、迷いなくすらすらと贈る相手に合った文字やおめでたい定型句などを見事に書かれます。

私たちが滞在している間、本当に毎日、書を求める来客がありました。そして、何度か連れて行っていただいた近所のレストランの壁には必ず、呉老師の書が大きな額に納められ飾られていました。

四文字の決まり文句のようなものもあれば、長い漢詩もあります。服部先生によると、漢詩の行末で必ず漢字の読みと意味で韻を踏んでいたり、漢字の「つくり」を同じもので揃えていたりと、高度な工夫がされているそうです。






訓練中心の売店。警察が八極拳を習いに来たときのパネルが飾ってありました。
Tシャツや武器を売っています。すごい剣を持つ服部先生。

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八極双鈎と六合大槍。




体育館での稽古。
天井のあの箇所はあのままです。(開所式に来訪した人はわかる、室内で打上花火を上げて天井板を壊したところ)
服部先生と古くからのお知り合いである常玉剛師兄と。



休憩していたら、羊牧場の番犬(屈強なシェパードが3頭も居ます)の子犬が遊びにきました。
モフモフして人なつこくてかわいいです。おとなになるとすごくなります…






玄関ポーチに置かれた大きなケージの中には、二匹の小さい白猫がいました。
新築祝いの贈り物だそうです。目は金と水色のオッドアイで、兄妹で色が左右対象になっています。中国では特に縁起が良いと珍重される種類とのことでした。

猫たちは、昼間は自由に庭に出て、体育館と家の間にあるナスや落花生の畑で走り回っています。
呉老師もたまに手づからエサをやったり、寒い日には大偉さんが学生に手伝わせて洗って室内に入れてやったりと、皆で世話をしています。大の猫好きの服部先生と私が暇を見つけては撫でたり声をかけたりしているうちに、兄のほうはだんだんなついてきました。妹は警戒心が強く、いつも兄の後ろに隠れています。


さて、今回、韓国八極拳協会を率いる劉榮珠先生が孟村にいらした目的の一つに、呉老師のご子息の呉大偉さんに息子の劉侊植さんを拝師させていただくということがありました。

拝師式は呉連枝老師ご自宅の1Fの中心にある客間で夜7時すぎに始まりました。

重厚なソファセットに見届け人の方々と劉榮珠先生もお座りになり、正面には立派な額を背にして呉大偉さんと奥様が座り、弟子になるための免状を広げて読み上げ、表演服を着用された劉侊植さんは居住まいを正して静かに聞き入っています。

立会人の、呉連枝老師の高弟の常玉剛先生が司会を勤め、式はおごそかに進みました。常玉剛先生は、私が日本で初めて八極拳を習った先生でもあります。当時と殆ど変わらないお姿が懐かしいです。

文さんや、訓練センターの教練の若い人たちが沢山写真をとっていました。
見届け人の中に、いつの間にか服部先生だけでなく、私の名前も入っていて驚きました。

式が終わると、そのまま隣の食堂に移動し、昼から準備された沢山のお料理を供してのお祝い宴会が開かれました。皆口々に劉侊植さんにお祝いの言葉をかけます。昼から用意された沢山のお料理をいただき、乾杯に返杯を重ね、賑やかに盛り上がりました




















盛大なお祝いの宴が催されました。
その間、なぜかずっとスイカが床に転がされていました。(帰国する日もそのままでした)

孟村でおすすめの料理に、羊肉のスープ「羊湯」と、羊のモツのスープ「羊雑」があります。

服部先生や孟村を訪れた開門拳社の皆さんが、口々に美味しいよと勧めてくれたもので、今回の楽しみの一つでもありました。

韓国の劉さんたちと一緒に、朝食に羊湯の店に連れて行ってもらいました。訓練センターからメインストリートに出てすぐ、車で数分の近さです。町の定食屋さんの雰囲気で、テーブルと簡易なイスが並んでいます。

服部先生を見て、店のご主人が「おう! 今年も来たのか!」と笑顔で握手に来ました。呉家がお客さんが来たときに食事に使うお店は、知り合いが経営する信頼できるお店です。毎年孟村訓練センターを訪れ、すっかり常連となった服部先生が入店したとたんに店の人の方が先に気付き、「また来たの!」「久しぶり!」などと手を振りながら声をかけ、握手をしに来てくれます。

孟村のどのお店に行っても、服部先生は常連客として親しみある歓迎を受けています。

羊湯は、見た目は、焼き肉屋メニューの牛のテールスープのような雰囲気で、半透明のスープに羊のお肉が浮かび、太めの春雨麺が入っています。そこに香菜を乗せ、調味料として用意されている「豆鼓の辛い刻みもの」「たくあんを細く刻んだ風な漬物」「塩」「味の素」をお好みでかけます。孟村来訪2回目の韓国の文さんが、「味の素はおすすめしません(笑)」と苦笑しながら教えてくれました。

スープと一緒に、「餅」を一緒に食べます。 

日本では、餅というとお米で作った伸びる食べ物ですが、中国の「餅」は小麦粉を練って平たくまとめ、またはパイ風に層にして焼いた、インドのナンのような雰囲気の主食です。 スープは羊肉の味が染み出ていてとても美味しく、柔らかい肉の薄切りとお腹に優しい春雨麺で、朝にぴったりのメニューだと思いました。近所の人は、通勤前にここで朝食をとっていくそうです。











珍しく、ちゃんとしたメーカーのロードバイクやクロスバイクに乗ったサイクリング団を見かけました。
日本でもなかなか見かけることのない、寝て乗る自転車リカンベントまで!



中央のボウルは海苔と卵のスープです。みんなで夕飯。









韓国チームを交え、訓練中心の石碑の前で記念撮影をしました。

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今日は、青県の韓国人社長主催のツアーです。

韓国からいらしている劉榮珠先生ご一行は、私たちよりも滞在期間が短かく、先にお帰りになるご予定です。
ご帰国前の最終日となる本日は、滄州の隣の青県で武術学校を主宰している呉連枝老師の弟子劉連俊先生と、同県に進出している韓国企業の社長で滄州市韓国人会の会長でもある鄭氏のご招待で、建築中の武術学校と工場見学、そして宴会というマイクロバスツアーの一日になりました。

まずは劉連俊師兄の新しく建造中の武術学校を見学。




ここにも大量のとうもろこし。そして犬。

劉連俊先生の武術学校は、2013年の孟村紀行(http://www.kaimonkensha.com/kiroku/131026-1104mouson/)にもありますが、さらに新しいこの施設を建築中なのです。

トウモロコシ畑と大きな池を背にして、その建物がありました。メインの建物と体育館は大体出来ています。入り口すぐの案内パネルを見ると、武術だけでなく、卓球やバドミントンなど多種の競技名が書かれており、上階には将棋や麻雀の部屋も備えた総合スポーツ娯楽施設になる予定らしいです。






内装はまだ工事中で、部屋の角に電気コードなどがぐるぐる巻いてありました。広い体育館はすでに使用しており、そこで、棍や双鈎、後日、再び孟村まで教えに来てくださった「八極棒」という新考案の套路などを見せていただきました。

敷地内では、テーマパークのような西洋の城風の建物が二棟建築中でした。何かと思えば、生徒の宿泊棟とのことでした。中国のこういった専門的な学校や、大学などは、広大な全土から生徒が集まるので、基本的に敷地内に寮があるようです。

中国での建築現場の不思議な特徴に、「工務店の制服やヘルメット、多ポケットのベストやニッカボッカに地下足袋などの専門職スタイルの人がおらず、作業者は殆ど私服のポロシャツ。まるで近所の人みたいで、建設のプロには見えない」というのがあります。

学校名を彫り込んだ立派な石碑が鎮座し、規模も大きい現場であるはずのここでも、そのとおりなので面白かったです。

また、「内装が完了しないうちに、トレーニングマシンはおろか、掛け軸や額縁入りの書、調度品、お茶セット、卓球台や麻雀台などを入れて、何となく使い始めてしまうので埃っぽくなってしまうが気にしない。壁に配電の大穴が空いていても、資材が積んであっても気にしない」という、完成しているんだかしていなんだか、なんとも中途半端な状態でした。

規模も大きく、立派な施設なのに、トイレが例のニイハオタイプ(横との仕切りも扉も無く、小さい便器が等間隔に地面に埋まっているだけ)なのにも驚きました。
驚きつつも、今まで読んだ中国旅行記や留学記などの本に出てきた「お約束」を幾つも実際に見て体験することができ、かなり面白かったです。

エスプレッソな濃いお茶をいただきました。
休憩室には無造作に流星錘が置かれていました。

劉連俊師兄と服部先生。

次の場所へ移動する際に、この学校の開校式にもぜひ来てほしい、と服部先生は劉連俊師兄に何度も何度も念押しされていました。交流も大変です。

韓国は化粧筆など、高級ブランドのコスメツールの生産で有名です。今回の社長の工場も、韓国資本の中国支部でした。金属の筒が、加工を経て、大小さまざまなメイクブラシになります。シャネル他、有名ブランドのロゴプリントの様子なども拝見しました。地元の女性社員が、手作業で細いアイライナーなどを組み立てていました。

見学後は、青県の清真料理(イスラム教徒向けの料理店。禁忌食材が絶対に出てこないので安心)店での宴会となりました。

中国の宴会は、飲めない人に無理に飲ませるようなことはないものの、食事の途中で何度も立ち上がって「○○さんに乾杯!」など声をかけての乾杯があります。それも頻繁にあるので、落ち着いて食べていられません。
また、大きい円卓を囲んでの会話は、隣席の人以外と話すには距離があるのでどうしても大声に成らざるを得ず、さらに中国人は元々声が大きく押しが強い人が多いので、個室の中はかなりわあわあ賑やかなことになります。
だから、ホールではなく、個室タイプのレストランが多いのかもしれません。





2013年に前述の学校の開校式で出会った、天津に会社を持つデンマーク人実業家のスティーンさんともここで再会しました。服部先生は握手を交わしてとても楽しそうです。
酔拳のスタイルでおどける明るい劉連俊師兄。

今回は、社長さんの主催のため、青県と孟村は協力して経済発展を…などと、劉さんや、呉老師、いわゆる武術関係とは関係なさそうな話題が連呼されていました。

主賓の方々は大人の対応で適度に食べて適度に飲んで、ニコニコしておられましたが、呉老師が最後の演説で、経済的な話をからめて上手くまとめていらっしゃいました。さすがです。

ごちそうになっておいて何ですが、内輪だけで行う八極拳や劉侊植さんの拝師の話題で親交を深める小規模な送別会の方が良かったのでは…と思い、帰ってからそっと服部先生に聞いてみました。

劉さんのお父上である劉榮珠先生は、韓国の「国民生活体育全国武術総合会の会長」であり、気功整体師として「国手(国一番の名手)」とまで呼ばれるご高名な方であるため、どうしてもこういった土地の名士が集まってきてしまうのは仕方がない。それは呉老師の日常でも同じく、ぜひお会いしたい、もてなしたいというお客さんが毎日のように来てしまい、付き合いとして必要かもしれないけど、外食やお酒が続くので、お疲れにならないかご家族もご心配されている。と、服部先生は少し困った顔で仰っていました。

中国のお店には、必ずこの「文字が流れるネオンサイン」がついています。

韓国チームとの別れを惜しむみなさん。

ツアーを終え、訓練センターに帰ると夜10時近くになっていました。
劉さんたちは翌朝6時半にはここを出発されるご予定とのこと。遅くなってお気の毒です。

呉老師のご自宅の前で、服部先生と劉榮珠先生たちは固く握手を交わし、お別れの挨拶をなさっていました。あの意味不明な工場見学や賑やかで大変な宴会のあいだも、劉先生たちは静かにほほえんでいらして、今もお疲れの様子をお見せにならず、呉連枝老師と別れのお話をされていらっしゃいました。

孟村に到着してすぐ、劉榮珠先生が、大偉さんの奥様の王国荣さんや、他の方々そして私に気功整体の治療を行って下さいました。偉い方なのに、「皆、私が治療してあげると喜ぶんだよ」と次々に気さくに引き受けるお人柄はすばらしいです。

治療を受けたら肩凝りが嘘のように軽減し、胃腸の調子もはっきりと良くなりました。劉侊植さんにも、「筋力の無い人でも体を痛めずにできる筋トレ」を教えていただきました。
文さんもずっと韓国語と日本語の通訳をしてくださいました。マンガの話でも楽しく盛り上がりました。
とても素敵な方々でした。ぜひまたお会いしたいと強く思いました。

八極白猫たちに手ずからフードを与える呉老師。
(うっかり1匹逃がしてしまわれましたw 夜行性なので畑をぴょんぴょん走り回る白猫。)



霧の朝です。朝食はタマゴチャーハンをメインに、おかずもたくさんあります。
手前の緑色の飲み物は、ミネラルウォーターに日本から持っていった粉末緑茶を溶かしたものです。便利です。
呉連枝老師と語り合う服部先生。
八極白猫も、勝手に付けた名前で呼ぶとこっちに来るようになりました(´∀`)

微妙なバランスの三輪軽トラ

服部先生が呉連枝老師にお願いしてくださり、孟村の中をご案内して頂くこととなりました。

まずは、呉老師のご先祖様方、伝説の呉氏開門八極拳家の皆様のお墓めぐりです。
訓練センターから車で数分ほどの、トウモロコシ畑に到着しました。遠くではトラクターが空中にトウモロコシや葉っぱをぽんぽん舞い上げながら刈り取りを行っています。固い茎が切り株のように残っている畑の中に入っていくと、数本の木が生えている所があり、そこに真っ白で立派な、ポーチと石段も備えた石碑のようなお墓がありました。

日本でも、地方に行くとお寺の敷地ではなく自分の敷地の畑のすみにお墓を建てていることがありますが、まさにそんな感じです。真夏などトウモロコシが繁茂している時期は、埋もれてしまってかき分けて行こうにも近づけないほどとのこと。



こちらには、呉老師のお父様である呉秀峰公がお眠りになっていらっしゃいます。
回族は土葬なので、お墓の後ろ側には草の生えた土まんじゅうがあります。

表面にはお名前と没年月、裏には生前の人となりなどを漢字で彫り込んであり、表の上部にはイスラム文字をあしらった丸いレリーフが埋め込まれていました。
開門拳社のサイトに掲載している過去の孟村滞在記で拝見し、見た目などはわかっていたつもりでしたが、こうして本物を目にし触れてみると、改めて感慨深いです。ご挨拶と尊敬を込めての黙祷を捧げ、お墓を後にしました。

次は、孟村の旧市街「老孟村」です。

中央通りは4車線の道路(うち2車線は例のコーン)に各種お店が並び賑わっていますが、そこから横道に入って少し走ると土の道、煉瓦の家、車一台がやっとという狭い路地ばかりの地区になります。
孟村の昔ながらの建物が集まる、老孟村です。
家は、道に面した所にまず大きな門があり、その上にはリボンが風になびくような形のイスラム文字が彫られた看板(おそらく表札)がかかっています。
門のデザインも凝っていて、中国のメインカラーともいえる赤色に代わり、ラピスラズリ風の藍色に金色の文字です。中国の中に居て、さらに違う国に来たような気分になります。

家々の屋根の向こうに、高い尖塔を持つイスラム寺院が見えました。車は迷路のような路地を何度も曲がって進みます。

呉会清公のお墓。服部先生の手には、呉老師がもいで下さった柿が。

煉瓦の塀で囲まれ、棗の木や柿の木、畑のある区画をとおり、また次の煉瓦の壁を抜けると、木々に囲まれたエリアにこんもりとした土まんじゅうが3つほどあり、その前に白い石碑が立っていました。

こちらは、呉会清公と、呉濚公のお墓です。

歴史上の方のお墓の前に立ち、その後ろの土の下にご遺体がおられると思うと、身が引き締まると同時に静かな感動があります。

お写真を撮らせていただき、また、呉老師に柿や棗をもいで頂いたりして、次に移動しました。

ご先祖の方々のお墓に、きれいな花が咲いていました。
憧れの三輪リヤカー。ガワを被せると、あの箱車になります。
家の前に積まれた煉瓦の上には、瓜のつるが巻き付いて、直径1メートルもありそうな冬瓜の実や、へちまやきゅうりが成っていました。
呉老師の弟さんのお宅拝見。門の上に掲げられたイスラム文字が特徴的です。大きなへちま。

孟村のメイン通りに戻ってきました。

孟村の中心街に、大きなデパートがあります。(デパート自体の写真は、道路を渡らないと撮影できないアングルだったので撮影できず)

懐かしいマイナーな百貨店の雰囲気で、1Fは日用雑貨と食料品、2Fから上は化粧品や携帯、ファッション洋品のフロアです。入り口近くは菓子パンとケーキコーナーでした。

ショーケース内の誕生日お祝いケーキのサンプル品は、上に乗っている砂糖菓子の細工が龍だったり虎だったりいかにも中国!といった感じで、色合いも朱色や青と派手で面白いです。

孟村デパートで。お祝いのデコレーションケーキも超中国風。虎が乗っているのもありました。

薬コーナー。

インフルエンザにもよく効くいつも買うお薬類や、以前食べて美味しかったサンザシのお菓子、かねてより欲しいと思っていたガラスのお茶ボトルを買いました。中国のドキュメンタリー映像や、映画などで必ず誰かしら持ち歩いている透明なガラスのサーモマグのようなものです。
安いプラの物から、保温性の高い二重式の物までやたらと種類が多く、棚一面をボトルが埋め尽くしていました。

また、訓練センターの寮にいる若い人たちも使っている、中国の学校の寮生活につきものの「金属製のマイ食器セット」(円筒形の器を重ねてあり、昔のお弁当ジャーに似ている)や、いかにも回族の村らしく、魚肉ソーセージ風の「豚肉完全ゼロの、鶏肉ソーセージ」も豊富に並んでいました。

訓練中心でも若い寮生がよく使っている、金属製の食器セット。複数の器を重ねてコンパクトにできます。

鶏肉ソーセージ。

謎のモバイルメーカー。どこかで見たようなロゴ。(元の企業も中国系に買収されましたね)

用意していった着替えでは朝晩が予想以上に寒かったので、中国にしては珠玉のかっこよさを誇るブランド「361度」のトレーナー上下を、服部先生は中国国内用のらくらくケータイを購入しました。

携帯の品揃えは、サムスンや中国製の高機能スマホと、「親孝行のプレゼントに!」とポップのついた、小さい画面に大きなボタンで電話とSMS機能だけのご年輩向けケータイに二極化していました。
服部先生は、次の中国渡航時に、そのプリペイドケータイを呉老師や呉大偉さん達との連絡に使う予定とのことです。マナーモードにしていても、起動時には必ず大きな音で音楽が鳴ったり、音質もAMラジオレベルですが、そのチープさが不思議と魅力だそうです。

プリペイドの手続きに少し時間がかかり、荷物を持って立って待っていたら、店員さんが丸イスを貸してくれました。親切が嬉しかったです。(・∀・)

このデパートで購入したものは、すべて呉連枝老師がお金を出してくださいました。また、私がフルーツ好きということを聞かれると、「これが美味しいから食べなさい」と大きなドラゴンフルーツも買ってくださいました。

にぎやかな大通り。

デパートの次に、呉連枝老師のマンションに行きました。

メインストリートから一本奥に入った所に煉瓦の門があり、そこをくぐるとマンションです。
周辺や階段などの共同エリアは土埃でざらざらしていますが、お家の中はとても綺麗でした。
窓の下には、にぎやかな通りが見えます。こちらには、以前、服部先生と須原教練が滞在させていただいたことがあります。

呉連枝老師の奥様に、牛肉麺をごちそうになりました。
奥様は長年お医者様として働いてこられましたが、今は引退してゆっくりとした日々を送っていらっしゃいます。豪快さと落ち着きと、厳しい母のような優しさを持った方です。デニムのハーフパンツを「夏に履きなさい」とプレゼントして頂きました!

呉老師がいつも日本に滞在されるときにお作りくださる、牛肉の味付き煮とゆで野菜、白ゴマのタレを太いきしめんのような麺にからめて食べる、さっぱりとしつつ味の染み込んだ牛肉の力強さもたまらない、とてもおいしい麺料理です。

呉連枝老師のマンションにお邪魔して、お昼に奥様お手製の牛肉麺をごちそうになりました!
とても美味しかったです!

念願の電動箱車に乗りました。

帰りには、かねてより、写真や動画で拝見してとても乗りたかったものに乗ることができました。
それは、三輪スクーターの上に四角い客車をかぶせたような簡易タクシーのような乗り物です。私は勝手に「箱車」と呼んでいます。

遊園地のエリアとエリアを結ぶカートのようでもあり、デパートの屋上にあるマイクロ電車の遊具のようでもあり、大変かわいい乗り物です。
小さい扉にこじんまりとした室内。電動なので駆動音はヴィーン…と静かですが、サスが皆無のようで、舗装道路でもガタガタギイギイとずっと箱全体がきしんでいます。

そこがまたおもちゃっぽく楽しいです。
揺れる車内で動画を撮影しながらその狭さと、かわいいちゃちさを存分に堪能しました。

訓練センターの門をくぐり、そのままずっと入って呉老師のご自宅前まで行きました。降りながら外観の撮影を続けていると、体格の良い呉老師が小さい扉からよいしょと狭そうに降りてこられるのを拝見。車体も呉老師も大変愛らしい雰囲気でした。
その場で器用にUターンして帰って行く車体の後ろ姿もかわいかったです。

羊牧場の見学をさせていただきました。肉用の羊なので、モコモコタイプではありません。たくさんいます!

訓練センターの敷地の奥では、たくさんの羊や山羊、アヒルなどを飼育しています。朝になると、鶏の声で目が覚めます。

煉瓦で囲まれた人工池では魚を養殖しています。呉老師のご自宅には燕の巣があり、縁起の良い鳥である燕がたくさん飛び回っています。果樹園には毎朝、大量の雀や、黒地に白い模様の羽根のカササギのつがいが飛来します。
敷地内を、呉老師にお願いしてお散歩がてら案内して頂きました。

羊牧場は、昨年服部先生が来訪したときには無かった施設とのこと。帰国してから以前孟村に行ったことのある開門拳社の指導員にお話ししたところ、「あの池を二つに割ったの?」「真ん中に橋を造ったの?」「羊を飼い始めたの!?」と変化に驚いていました。常に発展する八極拳訓練センターです。

山羊もいます。

怖そうな大きいシェパードが数頭、羊の番をしています。羊担当の人以外には慣れていないから気をつけるようにと老師に言われ、呉老師の後ろに隠れながらそっと羊場に入りました。強烈な動物園のにおいがします。
大人しい生物の代表とされる羊ですが、30頭以上が集まってどやどやと近づいてくると迫力があります。

羊場を抜けると、果樹園と林があります。以前の孟村紀行でも何度か出てきた「棗(ナツメ)」が植わっています。冬に旬を迎える冬棗なので、今はまだ青いオリーブのような実が成っています。

広大な敷地。棗農園と爽やかな林です。

この辺りは、穀物はトウモロコシを、果樹は棗を栽培している農家が多いようです。大通りでは「棗」と大書きされた看板を出している店が何軒もあり、県道でも、路肩にて三輪ライトバンの荷台に棗を満載し、棗の旗や看板をかかげた農家の直売車や、車を停めてそれを買っている人を何回も見かけました。新幹線の駅でも、棗の詰まったお土産箱を持った乗客を多く見ました。

棗は、そのまま食べることもできますが、味は甘みの少ない野生の小さいリンゴといった風味です。ドライフルーツにすると甘みも栄養も増すので、そうして売られていることが多いです。

中国では、棗は「五果」(栗・桃・李(ナシ)・杏・棗)の中でも王様とされ、健康への効能も高く、漢方薬の原料にもなっています。

林の中を歩き、少し離れた所にある大きい湖を見て、同じ小道を戻ってきました。泊まらせて頂いているお部屋から見える風景のうち、この時に歩いた分のさらに倍以上の範囲が呉老師の土地であるとお聞きして驚きました。

 両儀 両儀

滞在開始から数日経過。

夏休みはすでに終わっていたため、夏期訓練班の生徒たちも学校に行くなどして、体育館で練習する人数は少なかったです。
散打班や、センターの寮に住んでいる生徒と共に、服部先生が教練の周さんと練習をしている様子を撮影したりしていました。

そんなある日、服部先生は呉老師に直接「老師にご教授頂きたくて日本から来たので、お客さん方への対応でお忙しいかと思いますがぜひお願いします!」と強くお願いしたところ、呉老師は「よし、わかった!」と表演服に着替えて体育館にいらして下さいました。

老師のお姿を見たとたん、体育館の中に居た若い人たちがざわつき、すぐに絨毯の上からどいて練習場所をあけました。お二人がそこで練習を始めると、皆、窓際に置いていたスマホを持ってきて急いで撮影しはじめました。

後から聞いた所によると、若手の彼らにとって、呉連枝老師は雲の上のお方、伝説の恐れ多いお方であり、直接ご指導を受けることなどありえないのです。
このように、服部先生がお願いして体育館においで頂けたということにまず驚き、目の前で行われる貴重な指導の様子をじっと見つめ、真剣な面持ちで録画していました。

呉老師に直接稽古をつけて頂く服部先生。

日本の講習会にて、至近距離で老師の模範表演を拝見できることや、熱心な生徒であれば直接手を取って頂いてご指導を受けることもできるというのは、かなり希有な機会なのです。(なので、開門拳社の会員の方は、ぜひ貴重な機会を逃さないでくださいね!)

服部先生は、各種套路の動作を点検して頂いたり、組み合って至近距離での攻防のご指導を受けていらっしゃいました。指導の間、呉老師は終始上機嫌でいらして、ご説明の口調もどんどん熱が高まっているのがわかりました。

後ほど服部先生は、
「 いま、爸爸(父さん)に直接、指導を頼んで体育館に連れ出せるのは世界中で服部ぐらいだよ~」
と 呉大偉さんや国荣さんから言われ、若い教練の方々からは驚嘆をもって
「とても恐れ多くてできません、すごいですね」
「呉連枝老師の動きを初めて拝見できました。とても貴重な機会でした、ありがとうございます!」
と言われていました。

武術について語り合う呉老師と服部先生。
翌日、青県から劉師兄がいらして「八極棒」を教えてくださいました。

 

←呉老師と腕を組んで歩く媛々さん

いつもは北京の大学で寮生活をしている、呉老師のお孫さんの媛々さんが帰省してきました。呉老師は嬉しくてずっとニコニコしています。その夜は、媛々さん帰省歓迎で外に食事に行きました。

昔は、八極拳を習いに来た開門拳社の人をおもちゃの銃でダダダと撃つまねをし、遊びに付き合って「やられた~」と倒れないと怒るという男の子のようにやんちゃないたずらっ子だったのに、今は成績もよく、英語も得意なきれいなお嬢さんに成長されましたね…と、彼女をその頃からよく知っている服部先生がしみじみ語ると、媛々さんは子供の頃の話に照れまくり、大偉さんや国荣さんは「そうだった!」「確かにそんなことがあったね!」と爆笑していました。

服部先生が、まるで、年一~二回本家にやって来る親戚のおじさんのように見えました。家族同様のお付き合いを感じました。

お肉のうまみが溶け出したスープに、野菜をひたして食べます!
2階の広いリビング。
八極白猫とすっかり仲良くなりました。目が綺麗ですね!
朝食。魚の干物が出ました。みんな美味しいのです!
少林寺煎餅(笑)残念ながらカラで、味を試すことはできませんでした。

我々の帰国前日、近くのレストランで送別会を開いていただきました。

今回の主宰はジェームスさんでした。ありがとうございます!

彼は滞在時も常に体育館で練習をしており、八極拳にまじめに取り組んでいました。
ネット制限のある中国での接続のコツについても教えて下さり、親切で、いつもにこやかな紳士です。

私たちの帰る後しばらくしてから、彼も故郷のロサンゼルスに戻られるとのことでした。
機会があればぜひ日本を訪れ、開門拳社で一緒に練習をしましょうと服部先生がお話していました。

訓練センターで出会う人、料理店の人々はみんな感じの良い方々ばかりでした。服部先生の昔からの積極的な交流の努力が形になっています。
異国出身者同士でも、呉氏開門八極拳という共通のものがベースにあるのですぐに仲良くなれます。

奥がアメリカ人のジェームスさんです。紳士です。
いよいよ、孟村を発つ日となりました。空港へ行く途中に、滄州の有名な歴史的建造物である「滄州鉄獅子」を見学させていただきました。
西暦953年に建造され、その後動乱の時期を経て畑の中から発掘された鉄製の巨大な獅子像です。
開門拳社の公式練習用Tシャツのデザインにも使用しています。
上の写真はまた別のお寺。この付近では、建物の門の前に獅子像がよく置かれています。

道路の向こう、トウモロコシ畑の上に、獅子の頭と背中の鼎が小さく見えてきました。

鉄獅子博物館は、中央の鉄獅子を、資料館の建物で四角く囲んだ造りになっています。 門の前に適当に車を停めます。けっこう人だかりがしています。

服部先生によると、いつもは見学客はぽつぽつらしいのですが、国慶節なので観光客が多いようです。

門を入って見上げると、すぐに大空を背にしたがっしりとした鉄の巨大獅子像が現れます。口を大きく開けて、渤海湾の方角をむいて吠えている様は重々しい力強さに溢れています。
胴体の下には、補強として太い鉄のつっかい棒が入っています。それも微妙に錆びており、大事な歴史的建造物としては、補修が雑なような、荒っぽさがかえって凄みを増すような不思議な感じです。

資料館には、畑の中から鉄獅子が発掘された様子や政府の偉い方が見学に来た様子、また、洪水で鉄獅子の口のあたりまで水に沈んでいる白黒写真などがありました。
この鉄獅子も、元々は「渤海湾からの洪水を跳ね返すためのモニュメント」として造られたようです。

鉄獅子です!連休なので人が多かったです。
呉大偉氏と服部先生。
清朝の乾隆帝も鉄獅子見学にいらしたとか。
呉氏開門八極拳の開祖・呉鐘についての解説。寿命90歳は、当時にしてはかなりの長生きです。

昔、滄州は流刑地であり、中国三代古書の「水滸伝」に登場する林冲もここに流されてきた…などの歴史的な解説や、滄州の歴代武術家の紹介、刀や槍や狼牙棒など、中国武術の武器の展示がありました。(みんな錆びてましたが…)

著名武術家の中に、呉連枝老師のご紹介と、日本での講習会の写真も掲載されていました。

博物館はちょっと薄暗くて年期が入っており、正門前ではテーブルに鉄獅子の置物やキーホルダー、お酒などを並べた縁日のような適当な土産売りがいたり、全体的にローカルでゆる~い雰囲気でした。
でも鉄獅子像は勇壮だし、呉氏開門八極拳を習う人は一度は訪れるべき所でしょう。連れて来ていただいて良かったです!
「武術の里・滄州」のコーナーで紹介されていた、滄州武術をテーマにした映画をいつか見てみたいものだと思いました。

滄州西駅のテロ対策。飛行場と同じように荷物をレントゲンの機械に通し、金属探知機のゲートをくぐります。公安警備犬が寝そべっています。

両儀 両儀

両儀 両儀

北京でレストランに行きました。
ここでは、巨大などんぶりを使うのがウリだそうです。中身は普通の量です。
味はまあまあ。孟村のご飯のほうがグッと親しみのある、毎日食べたくなる味で美味しかったです。
スーパーに行きました。手前にQooが見えます。
お酒をご進物に良く使う習慣があるので、多種多量に揃っています。高価な品はショーケースに入れられていました。

宿泊したホテルの近くにある、王府井大通りは、ガイドブックでも大きく紹介されている観光地です。

日本の新宿や銀座の歩行者天国の倍以上の幅のある、とても広い大通りです。
国慶節で観光に来た家族連れでまさに満員!といった感じの大変な混みようでした。

服部先生とはぐれないように気をつけて歩きながら、人々の間から、ここの「王府井」の名前の由来となった、皇帝の居城(王府)の井戸の遺構をちらっと見ることができました。
昔、この大通りは皇居のお堀であり、皇后が船遊びの時に利用した井戸だそうです。
ポールとロープで囲まれた中に、龍のレリーフの入ったマンホールがありました。
割と、簡単にありました。見て納得。そんな感じです。

ゴージャスな巨大ファッションビルが幾つも建ちならび、日本の原宿あたりのそれとは比較にならないほど大きく、店も通路も広く、郊外のショッピングセンター位の広さがあります。AppleStoreやForever21など有名店もたくさんあり、若者でいっぱいでした。
連休記念バーゲンが開催され、これも、混雑の原因のようです。

ここで、日本にもあるようなおしゃれビルよりも、北京らしい所を見るべきだった!と気づき、服部先生に「老舎記念館」に連れていって頂きました。

老舎記念館前の小道。(中は撮影禁止なので)

老舎は北京出身の小説・劇作家です。
記念館は、王府井大通りから少し歩いた裏手の通りにあります。

人通りは急に少なくなり、こじんまりとした食料品や日用品の店が並んでいます。北京名物の、瓶入りの飲むヨーグルトも見つけました。
店のかどを曲がると、奥に続く小道の両側に、煉瓦と石で出来た1~2階建ての家が並んでいます。日本の下町のように植木鉢が並べられ、庭木の緑も多く静かで落ち着いています。

ビジネスやファッションのビルが立ち並ぶ最先端の地域から、このような昔ながらの一般人の住む街区に移動すると、国を問わず懐かしい雰囲気にほっとできるものですね。
きらびやかでめまぐるしい大通りよりも、こちらのほうが好きです。

その中の一軒が、老舎記念館です。
お住まいをそのまま資料館にしており、門を入ると中庭をぐるりと囲む四合院式の建物の中に、当時の書斎や居間が残され、著書やお写真が並んでいます。全体的にコンパクトで、本当に昔の普通の北京のおうちといった感じです。とても落ち着きます。
庭には大きな鉢があり、金魚が泳いでいました。当時もそのように庭で金魚を飼っていたそうです。
生涯と作品を紹介するパネルには、「老舎は体が弱かったので、健康のために武術を習っていた」とあり、太極拳かと思いきや、剣や刀などけっこう本格的に練習していたようです。

北京名物飲むヨーグルト。リターナブル瓶。


ホテルからほど近い、王府井というとても有名な観光大通りを歩いてみました。この大通りは、銀座のようにブランドショップが立ち並ぶ有名な観光地です。

日本でも放映された「北京バイオリン」というドラマのロケ地となったキリスト教の大聖堂があります。その前で、中国ならではのゴージャスな結婚記念アルバムの撮影が行われています。

タキシードの新郎と肌寒いのに肩を出したウエディングドレス姿の新婦がエレガントなポーズをとり、カメラマンやダウンジャケットを持って待機するスタッフに囲まれていました。
周囲の観光客は、大聖堂と彼らをスマホでバシバシ撮影していました。
中国人は、結婚記念アルバムや記念写真の制作に、かなり力を入れる習慣があります。 そして「グラビアのようなおしゃれ結婚記念写真」を新居に飾ります。

謎の猫彫刻。白と黒。
北京空港はとてもきれいで、霧の流れる庭園風ジオラマもありました。
羽田空港に戻ってきました。お疲れ様でした!

両儀 両儀

両儀 両儀

今回の旅は、開門拳社の方々や服部先生のお話による孟村の印象、写真で見た場所に本当に行くことができ、TV番組やネット記事で得ていた中国に対する予備知識についても一つ一つ実体験し、確認し、納得することができた実りあるものとなりました。

中国語が全くできず、旅慣れない私を連れていって下さった服部先生。見る物にいちいちはしゃいでうるさくしてすみませんでした。現地で何の心配もなく過ごせたのは、服部先生のおかげです。ありがとうございました。

出発前にアドバイスを下さった開門拳社の皆様、孟村でお世話になった呉連枝老師とご家族の皆様、訓練センターでお会いした親切な皆様に、深くお礼申し上げます。

本部 S

 


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両儀両儀