2007年度 呉連枝老師講習会レポート
2007年5月、ゴールデンウイークに毎年恒例となっている開門拳社呉連枝老師講習会が開催された。
今年のテーマは、兵器は「行者棒」徒手は「単打と対打の奥妙」。棍という基礎的な兵器と「単打と対打」という中級的な位置にある套路の組み合わせでなかなか味わいの深い実践的な内容の濃いテーマである。
〜軽妙で霊活な套路「行者棒」〜
八極拳の主要兵器である「槍」に密接する「棍」は四大兵器(刀剣棍槍)の一つであるが八極拳において主要兵器である「槍」に比べるとあまり重要視はされていないような印象を持っていた。今回は呉連枝老師から直に学べる機会であり、呉連枝老師の得意兵器である槍ではなくどのような講習会になるのか?という不安もあったが、その不安を完全に払拭する充実した内容になった。
まず行者棒の成立についてであるが、行者棒はかなり古くから伝わった套路であるらしく、呉連枝老師ですらこの套路とその歌訣がいつ成立したものかということはわからないらしい。
そして行者棒の套路の特徴であるが、私の感想としては歩法や手の内が実に霊活で、名前の由来になっている「孫行者(西遊記に出てくる孫悟空の別称)」を彷彿させるような身軽で軽妙な身法が込められているということであった。そして行者棒の歌決は行者棒の特徴を鮮明に描き出している。
行者棒歌訣
開山神棒最為強 扎花蓋頂人難防
呂布架戟機關巧 撩陰一鎗非尋常
倒退數歩人不識 扎花転身在一傍
勾掛劈打鬼神驚 藏身撥草尋蛇鎗
關公大刀劈當面 劈山救母楊二郎
只見棍打満頭過 那有烏鴉就地翔
急似玉女攅梭妙 後有提柳招數強
蘇秦背剣棍在後 西天取經略無防
不是老僧自誇口 花谷山上數我強
行者棒の歌決は実に小説的であり、まるで劇中歌のような印象を受ける。また、中に「呂布」や「關公(関羽のこと)」などの『三国志演義』の影響を見ることのできる所や「劈山救母楊二郎」のような『宝連灯』の影響を見ることのできる所などが散見しているが、そういった要素の中にも、しっかりと行者棒の特徴や要所を着実に示している。
行者棒は前記したように由来など全く不明な套路であるが、私個人の意見としてどこか他門から吸収し、歴代の掌門人や門人の誰かが八極拳的に変化させたものではないだろうかと思う。それは歌訣にも八極拳的な要素があまり感じられないことや動作や歩法も八極拳化されているが、それでも六合花槍や六合大槍ほど八極拳の拳術と深い関連性を感じない。しかし身法の養成や槍の技術の熟達の補助としては十分に有効であり、套路としても面白く完成度の高いものであると思う。
−単打・対打の奥妙、八極拳の奥妙とは?−
呉氏開門八極拳に「三位一体」という考え方がある。そして、その三位一体の一つである「単打と対打」の奥妙が今回のテーマになっていた。今回単打を学習した中で印象的であったのが「啓歩」という八極拳の秘中の秘である歩法。対打で印象的であったのは対練と深く繋がっていたということであり、いままで行っていた対練をより深く理解することができ、対打と対練との関連性についてもより深く認識することができたことであった。そして、単打と対打の歌決である「八極拳歌」の解説と「六十四手論」の簡単な説明という、実に内容の深い三日間であった。
三位一体の理論
呉氏開門八極拳には『「小架」と「単打・対打」と「四朗寛」の三つの套路を貴重としていてその他の套路は、すべてこれらの補助に位置するものである。』という考え方がある。これが八極拳の三位一体(三拳)の理論である。
三位一体の中の位置づけとしては、「小架」をすべての中心としていて、八極拳の核として考えられ、その縦の変化が「単打・対打」であり、その横の変化が「四朗寛」であり、この三つを学ぶことにより、縦横無尽の自由な攻防変化を学習することが出来る。というのが簡単な三位一体理論の解説である。
呉氏開門八極拳に於いて「対打」は実戦技術の研究方法としての位置づけも大きい。
また、その対練の方法にも段階があり、「手」という厳格な決まりの上に行う方法。
「析手」という手で学んだ方法を変化させて攻防の技術や発力の方法を研究する方法。
そして「搶手」という攻防共に自由に変化させて行い、八極拳の理想的な戦闘方法の「無形」に向かうための方法。
この三つは基本的に順番に進んでいき、それぞれ攻防技術を学んでいくのに非常に有効な方法である。
八極拳の秘伝歩法「啓歩」
近年まで秘伝として呉連枝老師が発表されていなかった「啓歩」であるが、今回の講習会でも非常に丁寧に説明をしていただいた。その内容は具体的な技術というよりは概念的な要素が強く、じつに深い内容であり、私もまだまだ理解できていない部分が多く、どうにも言葉で説明することが難しい、「シンプルで深淵なもの」と形容するほか無い。啓歩の理解はこれからの大きな課題となった。
八極拳の奥妙とは?
今回、単打・対打の奥妙というテーマで学んだことで「奥妙とは何だろうか?」という問題に対して、私が感じたのは「奥妙というのは複雑な技術などではなく、非常に単純なもの」であるということであった。単純であるが気がつきにくいこと、単純であるが深遠なこと、それらが奥妙や秘伝に含まれる部分であると思う。 そして、秘伝や奥妙に属するものほど「形」ではなく「概念」になってくる。
だが、それはそれさえ理解していればすぐに強くなるというような便利なものではなく、確実な指針であり、基礎的な功夫を積んだ後に必要になってくる物なのではないだろうかと思う。
だからといって、それを初心のうちには必要がないから知る必要もないかというとそんなことはない。なぜならそういった概念というものは功夫を阻害するものではなく、相互補助の関係にあり、練習の有効な指針となり、確実に功夫を積む上で補助になるものであるからである。
そのためにも歌決や理論といったものを理解するという作業は練習の上で楽しみでもあり、重要なことであると思った。
歌決について
今回、「行者棒歌訣」と「八極拳歌」の二つを学んだことによって、逆説的ではあるが小架の歌訣「八極拳小架歌訣」がいかに八極拳にとって重要なものであるかということを理解することができた。「八極拳小架歌訣」は「易の論」「虚実の論」「発力の巧妙な運用方法」「力学の道理」「無形の論」の五つの要素を小架の動作にそって構成されており、それは小架の説明というより「八極拳全体の説明」であり、「八極拳の哲学」をより具体的に示している。
つまりこれは「小架」が八極拳の中心であるということの証明をはっきりと示しているといえる。そして、それ以外の歌決はあくまでその套路の要所を示すものであり、そういった哲学性をもっているものでは無いようである。
−講習会を通して−
今回「単打・対打の奥妙」というテーマで行われた講習会であったが、単打、対打にとどまらず、多岐にわたっての八極拳の奥妙についての解説が多く、実に充実した内容になったと思う。六十四手論という実に難解な理論の解説まで行われ、非常に充実したものになった。
そして毎度ながら呉連枝老師の動きは一糸乱れぬ美しく力強い動きには、なにかを考える余地もなくただただ感動してしまった。そして以前より疑問であった「十大形意、十代勁別」と「六大開」の関連性を教えていただくことが出来たのは私にとって非常にうれしいことであった。
また今年も参加していただいた武術研究家の松田隆智先生にも、様々なお話を聞かせていただくことができ、さまざまな勉強をさせていただいくことができたことは大変ありがたく感じています。
講習会の管理や通訳をしていただいた服部先生、そして今年から具体的に講習会の進行や撮影を取り仕切っていただいた九世伝人の皆様には大変感謝しております。そして非常に貴重な秘伝を惜しげもなく楽しそうにわかりやすく解説いただいた呉連枝老師には本当にありがたく思っています。
本当にありがとうございました。
大森教室 高久 慎司 |