「呉氏開門八極拳初級講座を受講して」
今回初めて、一般参加で受講させて頂きました。本来このようなレポートも私より適任の方がいらっしゃると思いますが、服部先生より御指名を頂いたこともあり、「初めての一般参加者」のレポートも一興かと、筆を執らせて頂きました。拙文では、今回受講し「呉氏八極拳」あるいは「八極拳」について確認したり、認識を新たにした事柄をいくつか述べさせて頂きたいと思います。
まず1点目として、八極拳には多彩な技法が伝えられていると改めて知りました。
呉氏八極拳には様々な套路や招式が伝承されているという知識は持っていましたが、それでも少林拳や蟷螂拳のような様々な技法動作を含むものとは趣を異にするものと勝手に想像していたところがありました。ところが、今回の初級講座で教えて頂いた技法だけでも、剛・柔・剛柔兼備と様々で、その多彩さは自分の思っていた以上でした。これで別の套路を学べば更に増えるわけですから、技法動作という点だけでも八極拳には、まだまだ広がりがあるのだなと感じていました。
次に、2点目として、八極拳は奥深い用法のある「実戦武術」であることを確認しました。
呉連枝老師が折に触れ示された用法には、私が八極拳に持っていたイメージ通りのものもあれば全く違うものもあり、説明していただく程、もっと巧妙な技法がまだまだありそうな雰囲気を感じ、やはり八極拳は奥が深いなと納得していました。そして八極拳の実戦性を象徴的に感じたのは、「逆手」の返し技として呉連枝老師が「足を踏む」・「頭突き」・「金的を蹴る」といった技法を無造作に当たり前に用いられた時です。
その時わたしは「初めて見るような複雑な返し技」を期待していたところもあったので、単純明快なそれらの技法に、一瞬、虚をつかれた感じがありました。しかし、すぐ、そう感じたのは自分が「技法のコレクター」的な観点になっていた為であることに気付き、それと同時に「成る程!」と納得していました。
「散打」や「格闘技」に慣れ親しむ機会が多いと、技法や用法を考える時、無意識に前提としてルールがある状況を想定して、その中で考えてしまいがちです。前述の私がそうだったと思います。しかし、「ルール無し」が「実戦」ですから、ルールがある時なら禁止されるような危険な技もそうでない技も含めて、置かれた状況に最も適した技を用いるのが「武術」だと思います。呉連枝老師が正に「それぞれの状況で、最も合理的で効果の高い技法」をルールのない「武術」の技法の中から選ばれていると感じ、「八極拳は今でも実戦武術のまま伝承されている!」と納得したわけです。
3点目は、「強大な打撃力を誇る」といわれている八極拳の力の出し方についてです。
初めて呉連枝老師の動きを見た時、いくつかの技法の中で示された軽快さに目を見張りました。ある意味では、以前から想像していた通りの力強さよりも印象的だったかもしれません。というのも「格闘技」のみならず、他のスポーツでも、「大きな威力」を求める時、比例関係にあるのは「重さ」で、「軽快さ」は反比例することは多くとも共存する例を殆ど見たことが無かったからです。
しかし、学習が進み、八極拳の力を出す原理が一般の格闘技とは異なる事を確認し、「力強さ」と「軽快さ」が共存している状態が「大きい威力が出る状態」ではないのだろうかと思うようになりました。
そう理解できるようになったのも、「六大開」を理論と実技両面から学べたことが大きかったと感じています。もちろん、身体で表現することができるようになることはおろか、本当に理解するのもこれからです。
しかし、かつて「これが呉氏八極拳の核心か」と頭を捻って文献を理解しようとして結局、考えれば考えるほど「わかる」感じから遠ざかっていたことを思えば、「努力次第でわかるようになれる」と感じている今は、理解する手掛かり位は得られているかと感じています。実は「六大開をやります」と聞いた時に、「まさか」という驚きの後、嬉しさと同時に「これ以上覚えられるか?」という不安も起こっていました。
しかし、今なら、そんな不安に惑わされることなく「学べてよかった」と思えます。それは「六大開」を学んだ事により、仮にそれまで学習していたことに取りこぼしが出ていたとしても変わりません。なぜなら「六大開」を経験できたことで、それまでに学んだ基本から小架一路までの理解もより深くなっていく予感がしているからです。
八極拳の「核心」といわれる「六大開」を今回経験できたことは自分にとって望外の喜びであり、幸運でした。そして更に、時が経つにつれ、その実感が強くなっていく。そんな気がしています。
振り返ってみて、改めて実に密度の濃い2日間だったと思います。これも分け隔てなく、熱心に御教授頂いた呉連枝老師のおおらかで誠実なお人柄と、貴重な機会を設けて頂き、また、通訳・助教の労をとっていただいた服部先生の御尽力があってのことと感じています。末筆ですが、この場をお借りし、お二方に心よりの感謝の意を表させて頂き、拙文を締めくくらせて頂きます。
乱文失礼致しました。
高橋双八(一般参加) |