2005.5 呉連枝老師講習会レポート

2005年4月末より呉連枝老師をお招きし、開門拳社として5回目の講習会を行いました。

スケジュール
4/29 初級講座-1日目(一般参加有)
4/30 内功五法(一般参加有)
5/1  初級講座-2日目(一般参加有)
5/3  八極拳講習会-1日目(会員のみ)
5/4  八極拳講習会-2日目(会員のみ)
5/5  八極拳講習会-3日目(会員のみ)


▲全員の歩型を、老師が一人ずつ細かくチェック。


▲松田隆智先生と共に四朗寛を学ぶ。

  今年もゴールデンウィークの六日間、呉連枝老師の講習会に参加する事ができました。私にとっては昨年に引き続き、二度目の参加となります。今回は初級講習二日間、内功五法一日、四朗寛講習三日間のフルコースで、体力が保つかどうか微妙に思われましたが、どの講習会も非常に内容が濃く、参加できてとても嬉しかったです。

 初級講習は、立ち方から始まり開門八式の一部、初日に小架一路までをご指導頂きました。やはり基本功は体力をバリバリ消耗します。また二日目には、六大開拳と六肘頭まで進んだので、とても驚いたのを憶えています。私は入門してから六大開拳までを、およそ九ヶ月かけて教わりましたので、未経験の方にとっては、かなりハイペースに感じられたかも知れません。
 ただ呉連枝老師から教われる機会に、重要な物を一通り見せて頂ける事の価値は、ものすごく大きいと思います。座学では六大開拳と六大開の理論についてもご説明があり、とても大切な事を一番最初に教えて下さる事の凄さを、改めて感じました。一番最初に習うものは、一番簡単なものではなく、一番長く練習する必要があるもの、簡単なものなど一つもないと、肝に銘じたいと思います。

 内功五法講習会では、特に「八極小架の内在定型」というお話が印象に残っています。昨年の講習会にもありましたが、外から見た形は違っても、殆どの技は両儀の変化なのだそうです。これを私は「両儀を変形しているのかなあ」と考えていました。ですが変形と言ってしまうと、上下に広がって冲天掌というのが変形なら、良く怒られる「胸を張ってしまう」というのも変形と言えなくもなく、はて、どんな変形は良くて、どんな変形はダメなのでしょう?と不毛な疑問を抱えていました。
 ですが今回のお話を聞いて、もしかすると形が変わっても保たれるのは、両儀の「意識」なのでは、と感じました。今回の講習会でも、一見して形の違う技が実は同じものである、という例を見せて頂く事ができましたが、形が違っても意識は同じというものがあれば、形が同じでも意識は違うというものもあるそうで、理解してゆくためには、これから何年あっても足りないなあと思います。

 四朗寛の講習会は、正直に言ってかなり不安でした。私は二月の講習会で四朗寛の順序を憶えたばかりで、まだ殆どまともに動けません。順序を憶える前は、四朗寛を見せて頂くといつも「こんなに長い套路、絶対に憶えられない」と思っていました。服部先生は「いったん憶えてしまえば、そんなに長くは感じなくなりますよ」と仰っていましたが、一応一人で練習できる様になると、本当に長く感じなくなって感動しました。
  ですが今度は、あちこち難しくて動き出せなくなります。一番最初の揺錘からどう踏み出して良いか解らず、下手をすると四朗寛そのものが始まらなかったりする状態で、講習を受ける事になりました。

 ただ事前に順序を憶える機会があった事は、とても助けになりました。新しい套路を憶える時はいつもなのですが、順序を頭に入れるのに必死で、自分の動きのどこが悪いのか、何処の動作に気を付けるべきか、などなど全く考える 余地がないのです。せっかく呉連枝老師が目の前で動いて下さっているので、自分が動くので精一杯ではなく、少しでも老師の動きを見たい、見る余地が欲しいと思っていました。ですから順序を気にせず済んだ分は、多少なりとも今後の勉強の材料が拾えたのではないかと思います。

 例えば小架、単打までであまりよく練習できていない動きや、深く考えた事のない動作が、四朗寛の中にはとても頻繁に現れるように感じます。特に驚いたのが籃肘で、それこそあちこちに籃肘の要素が現れるのに、身体の方は全く追い付きません。
 歩法に至っては、どこを見ても白馬翻蹄、跟提歩といった感じで、どちらも私にとっては鬼門です。六大開拳の順歩纏のときにも感じましたが、習い始めた時にその重要性を理解できず、後から力一杯後悔する典型だと思いました。

 座学において呉連枝老師は「八極拳三位一体」について、お話下さいました。八極小架と、八極単打・対打、八極四朗寛、これらは全て必須の基本功であるとの事、四朗寛については「こ、これも基本なのですか?」と、少しへこんだりもしました。
 しかし絶対に学ばなければならない套路が三つ揃い、ようやく長い学習の入り口に立つ事ができると思うと、できない動作ばかりであるにも関らずワクワクしてきます。白馬翻蹄は最初の頃に習いますし、小架には四朗寛を代表する動作が含まれているそうです。難しくてできなくとも、とにかく練習は開始しなさい、練習しなければ出来るようになりません、と言われている様に感じます。
  基本功に簡単なものが一つもないのも、同じ事なのかも知れません。

 今回の講習会も日数は多かったのですが、日々とても内容が濃く、盛り沢山の六日間となりました。教えて頂いた事の中から、一つでも二つでも拾い上げて、来年までに磨く事ができればと思います。また、各地からお見えになった先生方には素晴らしい表演を見せて頂き、とても勉強になりました。ありがとうございます。
  最後になりましたが、いつも笑顔で熱心にご指導下さった呉連枝老師と、私たちに素晴らしい機会を与えて下さった服部先生に、また公私に渡りいつもお世話になっている同門の皆様に、心から感謝致します。ありがとうございました。

高須俊郎(本部教室)


▲四朗寛・羊低頭。


▲初心者の方にも丁寧に指導します。

 花粉の季節も終盤となり気持ちが前向きになってきた頃、初級講座と内功五法に参加させて頂きました。
  講習会は初めてなので広い体育館や人の多さに緊張しましたが、練習が始まると周りの熱気に感化され、歩法などの体育館ぐるっと半周練習にも必死でついていきました。けれど、今まで月2回ののんびりしたペースで習ってきただけに長時間の練習には体がついていけず、午後の小架一路では一動作毎にふらついてしまって情けない思いをしました。

 翌日の内功五法は以前教室で習ったことがあり、とても興味を持っていたので楽しく学習させて頂きました。体力よりお脳を使い果たした感はありましたが、体の内側からゆっくり温かくなっていくのを感じるのが好きです。

呉連枝老師に色紙を書いていただいたのですが、何か一言添えようとその場で中国語を教わり、並んでいる間に呪文のように唱えていたのですが、いざお願いする時にはつかえて上手く言えなかったのでした。でも、中国語で何かを言おうとしたことは呉老師に通じたようで、笑顔で色紙を受け取って下さいました。色紙には八極拳八ヶ条を書いて頂き、服部先生に解説して頂きました。これを理解できるように練習に望みたいと思います。

 最終日は前日の内功法のおかげか初日程の辛さはありませんでした。六肘頭では以前習った遠い記憶を呼び覚ましつつ、周りを見ながら動きを確認していました。少し動けるようになると楽しいですね。 3日間の講習会を終えて、体が軽くなった感じがしました。(体重は変わりませんでしたが)恐れていた筋肉痛にもならずスムーズに体が動くようになったので、日々続けることの大切さを実感しました。
  最後にご指導くださった呉連枝老師、服部先生、指導員の方々ありがとうございました。

S.I(北千住教室)




▲仆歩の練習。背中を丸めず、低く、低く…。


▲小架一路の応用変化を示される老師。

 「呉氏開門八極拳初級講座を受講して」

 今回初めて、一般参加で受講させて頂きました。本来このようなレポートも私より適任の方がいらっしゃると思いますが、服部先生より御指名を頂いたこともあり、「初めての一般参加者」のレポートも一興かと、筆を執らせて頂きました。拙文では、今回受講し「呉氏八極拳」あるいは「八極拳」について確認したり、認識を新たにした事柄をいくつか述べさせて頂きたいと思います。

 まず1点目として、八極拳には多彩な技法が伝えられていると改めて知りました。
  呉氏八極拳には様々な套路や招式が伝承されているという知識は持っていましたが、それでも少林拳や蟷螂拳のような様々な技法動作を含むものとは趣を異にするものと勝手に想像していたところがありました。ところが、今回の初級講座で教えて頂いた技法だけでも、剛・柔・剛柔兼備と様々で、その多彩さは自分の思っていた以上でした。これで別の套路を学べば更に増えるわけですから、技法動作という点だけでも八極拳には、まだまだ広がりがあるのだなと感じていました。

 次に、2点目として、八極拳は奥深い用法のある「実戦武術」であることを確認しました。
  呉連枝老師が折に触れ示された用法には、私が八極拳に持っていたイメージ通りのものもあれば全く違うものもあり、説明していただく程、もっと巧妙な技法がまだまだありそうな雰囲気を感じ、やはり八極拳は奥が深いなと納得していました。そして八極拳の実戦性を象徴的に感じたのは、「逆手」の返し技として呉連枝老師が「足を踏む」・「頭突き」・「金的を蹴る」といった技法を無造作に当たり前に用いられた時です。
  その時わたしは「初めて見るような複雑な返し技」を期待していたところもあったので、単純明快なそれらの技法に、一瞬、虚をつかれた感じがありました。しかし、すぐ、そう感じたのは自分が「技法のコレクター」的な観点になっていた為であることに気付き、それと同時に「成る程!」と納得していました。

 「散打」や「格闘技」に慣れ親しむ機会が多いと、技法や用法を考える時、無意識に前提としてルールがある状況を想定して、その中で考えてしまいがちです。前述の私がそうだったと思います。しかし、「ルール無し」が「実戦」ですから、ルールがある時なら禁止されるような危険な技もそうでない技も含めて、置かれた状況に最も適した技を用いるのが「武術」だと思います。呉連枝老師が正に「それぞれの状況で、最も合理的で効果の高い技法」をルールのない「武術」の技法の中から選ばれていると感じ、「八極拳は今でも実戦武術のまま伝承されている!」と納得したわけです。

 3点目は、「強大な打撃力を誇る」といわれている八極拳の力の出し方についてです。
  初めて呉連枝老師の動きを見た時、いくつかの技法の中で示された軽快さに目を見張りました。ある意味では、以前から想像していた通りの力強さよりも印象的だったかもしれません。というのも「格闘技」のみならず、他のスポーツでも、「大きな威力」を求める時、比例関係にあるのは「重さ」で、「軽快さ」は反比例することは多くとも共存する例を殆ど見たことが無かったからです。
  しかし、学習が進み、八極拳の力を出す原理が一般の格闘技とは異なる事を確認し、「力強さ」と「軽快さ」が共存している状態が「大きい威力が出る状態」ではないのだろうかと思うようになりました。

 そう理解できるようになったのも、「六大開」を理論と実技両面から学べたことが大きかったと感じています。もちろん、身体で表現することができるようになることはおろか、本当に理解するのもこれからです。
  しかし、かつて「これが呉氏八極拳の核心か」と頭を捻って文献を理解しようとして結局、考えれば考えるほど「わかる」感じから遠ざかっていたことを思えば、「努力次第でわかるようになれる」と感じている今は、理解する手掛かり位は得られているかと感じています。実は「六大開をやります」と聞いた時に、「まさか」という驚きの後、嬉しさと同時に「これ以上覚えられるか?」という不安も起こっていました。

 しかし、今なら、そんな不安に惑わされることなく「学べてよかった」と思えます。それは「六大開」を学んだ事により、仮にそれまで学習していたことに取りこぼしが出ていたとしても変わりません。なぜなら「六大開」を経験できたことで、それまでに学んだ基本から小架一路までの理解もより深くなっていく予感がしているからです。
  八極拳の「核心」といわれる「六大開」を今回経験できたことは自分にとって望外の喜びであり、幸運でした。そして更に、時が経つにつれ、その実感が強くなっていく。そんな気がしています。

 振り返ってみて、改めて実に密度の濃い2日間だったと思います。これも分け隔てなく、熱心に御教授頂いた呉連枝老師のおおらかで誠実なお人柄と、貴重な機会を設けて頂き、また、通訳・助教の労をとっていただいた服部先生の御尽力があってのことと感じています。末筆ですが、この場をお借りし、お二方に心よりの感謝の意を表させて頂き、拙文を締めくくらせて頂きます。
  乱文失礼致しました。

高橋双八(一般参加)



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