思えば開門拳社と出会い幾星霜が過ぎて、八極拳が生活の一部になりながらも、結婚出産と相次ぎ去年は八極拳との距離が空いてしまった感じがしていました。
それだけに今回の呉連枝老師講習会はとても楽しみにしていました。
「夫婦で合作のレポートを」とのことですので二人で所感を綴ります。
先ず六合花槍講習会は夫・籏谷太が参加しました。
静かに始まった今回の六合花槍講習会だった。
見覚えのある同門だけの参加者で、彼らは套路や基本功について大分前に習っているはずだ。
にもかかわらず同じ課題に挑戦するのは伝統の技ゆえに真の姿になかなか到達できず、研鑽を掘り下げ理解に時間がかかっているということだろう。
ともすると繰り返しにも見える内容に受講者は修練止むことなく眼を見張り耳を澄ます。
功夫の価値をしっかり理解した彼らも確かに武術家なのだ。
そんな顔ぶれを確認する様に見回した呉老師から最初に発せられた言葉はやはり安全に注意する、ということだった。
槍を振る呉連枝老師の姿を、息子と一緒に見学していました。
大きな槍が小さく見えます。
槍纓が描く流線状の紅い帯はとても綺麗で、武術であることを忘れ舞踊を思わせてしまいます。
「身法が難しくなったのでは?」と服部先生からの問いに、「より子細に教授している。」と呉連枝老師。
我々の進歩を感じていただけたのだろうか?
機を計っての指導に緊張と困惑をしながら知っているはずの套路を慎重に打った。
「槍は一条の線の様に!」
呉老師の声が乾いた館内に響く。
そして実戦用套路と表演用演舞の相違を簡潔に指摘された。
「実戦では真っ直ぐに、表演では面積を広く使う様に角度をつけて動け」と。
老師はこの二つに優劣を付けたわけではなく、用法を美技とすることの大切さを伝えたかったのだと思えた。
套路中の技を美観の為に本来のものと置き換えた話をされ、その意義について「危険な技は知っていれば、それで良いのだ。」とおっしゃっていた。
武人としての境涯の違いを思い知らされ同時に目指すべき地点を改めて確認できた。
武技とは「より速く!より重く!より的確に!」を重要とするものだと確信していた。
それが強さだとも…
よって技などは凶暴に越したことはないと…
しかしそれを扱う人間の気質の崇高さは偉大な師のみが教えられることだと痛感した。
どこまでも寛容で達観された呉連枝老師だが、表演用だけで意味が無い動作については厳しく言及されていた。
攻撃にも防御にも属さない見得を切るだけの動作は武術ではないと。
呉連枝老師が見本として六合花槍套路を打ってくださいました。
漆黒の武衣をなびかせながら、重厚な威力が軽快に滑走する様でした。
わたしには到底マネできない技の連続を羨望していました。
「練槍看走 〜槍を練るには歩を看よ〜」という言葉を教えていただいた。
槍の練功に於いても歩法が重要だとのこと。
そこで以前より疑問だった「胯馬槍」について質問した。
すると同門諸兄からも「胯馬槍」についての質疑応答が為された。
老師の答えはどれも以前に聞いたことのある内容だった。
そうだ。呉連枝老師はいつも本質を解り易く説明されている。
要はこちらの理解力の低さが難解を生んでいるのだ。
呉老師が比喩を添えて説明される。
それを服部先生がそのまま通訳し噛み砕いて注釈をつけてくれる。
しかしそれでも尚、不安な我々は拙い知識で互いに見解しあう。
久しく離れていた喧囂侃諤とした討論に唾を飛ばし合った。
服部先生曰く「時期が来なければ解らない事もある。」
何かにつけ違和感を覚える時とは足元を見落としている事が多い。
師は照らし続けてくれているのだが、示された事が見えてない故に忘却し練習不足になる。
見ようとしないから見えず。
聞こうとしないから聞こえず。
練功は足元を見よ!とは随分と痛い金言である。
師に成長を見守られることを感謝するのは当然として、確実に進歩することに義務を感じた。
単打・対打がメインとなる徒手講習は、わたし・籏谷真理子が参加させてもらいました。
が、体調万全には程遠く頭痛や疲労感を引きずっての受講と相なってしまいました。
「わたしは最後までやれるのか?」不安な気持ちのまま開始時間は過ぎ、単功講義が始まりました。
馬歩両儀、弓歩打開、托槍式、独立歩から撲歩の5種類。
双肘を挟んで左右の定式で構え、収式までを一つずつ丁寧に教えていただき確認しながら行いました。
それぞれの動きに合わせ自然に呼吸をしていると、身体の中の重いものが流されていくように調子が整っていく感じがしてきました。
わたしには気功の力を理解することはできませんが、呉老師の導きで正しい内功法を体験し、その存在感も含め見えない力を強く感じました。
体力と共に気持ちも高揚してきて、開始時とは打って変わり少々興奮気味に午後の単打・対打の講義に突入することができました。
呉連枝老師 技撃解説。
老師自らの実演を寸断し解析される。
その発力は強大為れど、その動きは強引に非ず。
必然摂理の中で振る舞う如くのその技は、自然体、無作、無拍子…
極意、秘伝などと呼ばれる事を 何気なく行われた。
相手をした受講者は、放たれる刹那に遅れをとり、耐える事も許されず
嵐の大海に呑まれた小船の様であった。
今回の講習会では呉老師に直接「単翼肘」を直していただいたのが、何をさておいても一番嬉しく価値のある体験でした。
呉老師は手取り足取り、拳の形や腕の角度などを修正してくださいました。
それは、ただ間違った定式を指摘されたに留まらず、この動作(技)は何をして何処を狙っているのか?
その意味がひしひしと、わたしに伝わってきて。
それまで只、真似をするだけだったわたしの練習に変化を与えていただ いた思いがしました。
仕事と育児の傍らに細々と練習している状況下でなかなか気付く機会が少ない今のわたしには、正に目からウロコが落ちる思いでした。
又、単式の技を発力できていない事を解決したいと思い質問したところ、呉老師に直接技を掛けて教えていただきました。
他の犠牲者の方々同様、その凄さを身体で体験しました。
呉老師が発力した瞬間にわたしの近くで何かが破裂したような四方八方に飛ぶ威力が感じられわたしは只、きれいに巻き込まれたように投げられていました。
今回の講習会では呉老師の体の内側に働く力と、内から外に打ち出される力を体感させていただいた機会となりました。
そして呉老師がその功夫の高さを遺憾無く発揮されたのが講習会最終日、開門拳社にて呉連枝老師招聘10回記念と銘打たれた表演会でした。
老師表演。
固唾を呑み静まる空間に、
中華国粋の拳聖が突く!翻る!迫る!
静寂を消し飛ばす功夫の轟音が耳から離れない。
そして万感の拍手は誰のものより長く、老師の御人徳を讃える様でもあった。
この表演会には私ども夫婦も出演させていただきました。
夫が今回の表演会用に練習している技があると聞いてましたがまさかアレだったとは…
しかも本番では空振りしていました。
自分の失敗より恥ずかしかったです。
今年は夫婦で子守傍ら交互に参加させていただいた講習会でした。
服部先生、事務局様には面倒かけっぱなしで言葉もありません。
親になって一年が経ち、武術との付き合い方も考えさせられる機会となりました。
私が感じる呉連枝老師とは、その風格に圧されることはあっても畏怖を与えず。
全く武藝者らしからぬ武藝者です。
遠く及ばずながらも老師の為人やその在り方も服部先生の下で学びたいと思います。
数々の武訓をいただきました呉連枝老師に感謝いたします。
講習会企画運営された関係諸氏の皆様、ありがとうございました。
本部教室 籏谷 太・真理子 |