2008.4.26〜5.5 呉連枝老師講習会(2)

08GW講習会

 


▲最重要套路「小架一路」を学ぶ




 今年のGW講習会は、六合花槍と四朗寛に参加させていただきました。
  六合花槍、四朗寛ともに大変勉強になり、楽しく有意義な講習会でしたが、自分の拙い文章では双方をすべて書くことが困難なため、六合花槍を中心に書いていきたいと思います。
 今回、明確なテーマを持って講習会に臨んだ訳ではありませんが、呉連枝先生の動きを拝見し、お話を聞くことで、今までわからなかったことや曖昧だったことが少しでも理解できればと思っていました。


  六合花槍の二日間は湿度が高かったため、少しの動きでも汗が噴き出て体力を削られました。しかし、呉連枝老師はいつも通りのさわやかな笑顔と、いつも通りの華麗な動きでご指導して下さいました。呉連枝老師は動きの手本を見せ、詳しくわかりやすくまた楽しく教えて下さいました。「槍の先は舌と同じように柔らかく使う」という説明では、そのような表現があるのかと驚きました。

 また、動きを“スリ”に喩えて説明してくださったりと、ユーモアたっぷりでした。  呉連枝先生の、まるで自分の体の一部を動かすかのように六合花槍を操るその深い功夫と、所々で場を和ませつつ大変わかりやすく説明する話術には、ただただすごいと思うばかりでした。内容的にも深く掘り下げ、細かいところまで詳しく説明してくださり、大変勉強になりました。

 今回の講習会も大変勉強になることばかりでしたが、その中でも自分に変化をもたらしたと思うことの一つは、基本の“舞花”でした。呉連枝老師は舞花でも“啓歩”を強調され、そして「槍より先に足が出なければならない」とおしゃっていました。また「前に押し出すように」「前に進むように」とご指導下さいました。これらの言葉は自分の舞花を、そして六合花槍そのものを一歩前進させるものになったと思います。

 一昨年の六合花槍、去年の行者棒講習会でも“啓歩”を強調されていましたが、その時は足からの起動は頭に入れていたものの“足が先”という意識をはっきりとは持っていませんでした。自分にもう少し理解力があればと悔やむばかりです。
  呉連枝先生のおっしゃった通り、槍よりも先に足を進め押し出すようにすると、よりスムーズに体が動いていきました。今までは花槍を回すことばかり気にしていたため、全体の動きがバラバラになっていたことに気づきました。手で回すことよりも、足や腰など体全体を動かすことに意識の割合を高くすることで動きが変わったように思います。

 今回の講習会では今まで以上に、四朗寛、単打、小架でも六合花槍で学んだことを意識しながら練習しなければならないと感じました。

 

 最後に、呉連枝先生を初め服部先生、松田先生、指導員の方々、講習会に参加された皆様、大変お世話になりました。来年の講習会でも再びお目に掛かりたいと思います。ありがとうございました。

大森教室 五十嵐 央


▲六合花槍の講習




▲劈杆子の教授

 開門拳社に於いて毎年恒例となっている、呉連枝老師を招聘しての講習会が、今年もゴールデンウイークに行われた。


  −「六合花槍」、槍の基礎套路−

 八極拳に於いて重要兵器である槍。その中でも六合花槍は一番最初に練習する套路であり、槍を操る基本的な技術や身法を身につけるのに大変適した套路である。
 今回は、その六合花槍の拳符「六合花槍論」の解説と、秘伝の「六合大槍二十六字訣」の解説も行われた。
  六合花槍の講習の中で特に印象的であったのは「後把三尺為槍(後把三尺を槍と為す)」と「槍の三尖相照」の二つであった。

 まず「後把三寸為槍」の三寸とは、槍を例えば托槍式で構えた時の両手の間の範囲、つまり体に密着している範囲の事である。意識が行きがちな槍の穂先等の具体的な打突部位ではなくて、その部分を主に意識して槍の技術を使う、それは槍などの長兵器を扱う上でに非常に重要な口訣であると感じた。
  そして「槍の三尖相照」であるが、これは拳に於ける三尖相照(拳、鼻先、つま先を一つの縦のライン上に配置する)とほぼ同じ意であるが、槍と言う武器の性質を考えても重要な要素である。
  特に槍の対練である「劈杆子」ではこの三尖相照が強調されていた。

  −「四朗ェ」、歌決が示す三位一体と畳手の関係−

 呉氏開門八極拳は、他の八極拳に比べて套路が多いことが特徴の一つである。  そしてその中で中心になる套路が「八極小架」、「八極拳(単打、対打)」、「四朗ェ」の三路であり、その三路を「三位一体の套路」と呼ぶ。  三位一体の套路は「小架」を根幹とし、その縦の変化が「八極拳」、その横の変化が「四朗ェ」である。
 今回の講習会のメインはこの四朗ェであった。

 今年の講習の中で、私が今までに学んだことがなく、印象的であったのは四朗ェの歌決であり、その中でもとても気になったのが一文目の「拳起畳手左右翻」の部分であった。
  八極小架の歌決に、「四象生八卦内批四朗ェ」の一文がある。
  この部分の解釈はいままで「両儀(小架)は四朗ェの要素をも内在している」や「四朗ェも両儀(小架)の発展にある」といった意味で解釈していたのだが、今回初めて四朗ェの歌決を学ぶことができたことによって、他の解釈もできるのではないかと感じた。

 まず、『小架歌訣』の「四象生八卦内批四朗ェ」は動作としては「十字拳」の部分を示している。
  そして八極拳歌ではこの「十字拳」の動作を「畳手接拿在左右」と表現されている。
  しかし四朗ェの歌決『四朗ェ拳之論』にある「拳起畳手左右翻」の示す動作の「畳手」は、「十字拳」とは用法は共通する部分はあるのだが、外観はあまり似ていない。
  おそらく一見すれば別の動作だと思うほどである。
  もちろん、動作名称が同じでも外見が違ってみえる動作というのは、この「畳手」だけではなく、呉氏開門八極拳には多数存在するが、私としてはこれは小架の「四象生八卦内批四朗ェ」の解釈に関わるのではないかと感じた。

 つまりこのことは、小架歌決に於ける「四象生八卦内批四朗ェ」とは「十字拳こそが四朗ェの真髄である」という意味に解釈できるのでは無いだろうか、ということである。

 もちろん、三位一体の歌決全てに関係があるというのはやや強引な考えであることは否めない。
  なぜなら、「十字拳」という動作の呼び名が、三位一体の套路の歌決が書かれる以前には無い呼び名であり、後に「十字拳」と呼ばれるようになった可能性が十分にあるからだ。
  しかし、少なくとも「四象生八卦内批四朗ェ」の解釈が「畳手という動作が四朗ェの目的である、両儀の横の変化を最も端的に表現している」という解釈は無理ではないと思う。

 しかし残念ながら、私自身「畳手」が「両儀の横の変化を具体的に示している」という意味を体感を以ては理解出来ていないため、上記の説は私一個人の勝手な仮説に過ぎない。
 ただし八極小架歌決は多義的な歌である可能性が強いので、そう言った一解釈もおかしくはないと思う。
  しかし「畳手」という動作が、四朗ェにとって重要な動作である事は間違いのない事実である。

  −「打気功」八極拳の絶招−

 呉連枝老師は以前より、「絶招というものは存在しない、矛盾という言葉が表すように必殺技なんて存在しない」と言われていた。
 その呉連枝老師が「もし八極拳に絶招というものがあるとすれば、強いて言えばそれは打気功だ。」と言われたことはとても衝撃的であった。
  『打気功』と言うのは具体的な動作ではない。どちらかと言えば概念に属する物である。
  強いていえば「相手の呼吸を外す技術」とでも言えるだろうか。力を出すには呼吸が不可欠であり、そこの弱点を撃つ技術が打気功である。
  しかし、その技術を実際に活用するのは、とても高度な功夫が必要であると思う。探求は遠い道程だが実に興味深いと思った。

  講習会を終えて

 今回の講習会は、理論解説だけでも「六合花槍之論」「六合大槍二十六字訣」「三盤合撃」「十大勁別」「十大形意」「四朗ェ拳之論」「八大手形」「六不輸」「打気功」等非常に豊富な内容で、呉連枝老師も大変熱心に教授してくれていた。
  だがそういった具体的な内容以上に、呉連枝老師の動きや技を実際に見て、その人柄に触れることが、なによりも価値のある時間であった。
  呉老師のまるで田舎の農夫のような素朴で純粋な人柄は、周りの状況がどんなに変わっても変わることはない。
  そして八極拳を教える時はいつも嬉しそうで、そして様々な技をどんな相手にでも魔法のようにあっさりとかけてしまう。
  そういった人柄と技を見ると、何よりも「ああ、呉氏開門八極拳を学んでいて良かったなあ」と感じることが出来、なによりも八極拳が「高尚な芸術」であることを肌で感じた。

 今回の講習会も、非常に重要な秘伝の数々をこともなげに伝授してくれた呉連枝老師には、ただただ感謝しています。
  また、講習会の運営、通訳をしていただいた服部哲也先生、講習会の段取り、撮影等を担当していただいた、指導員の方々にも感謝しています。
  ありがとうございました。

 

大森教室 高久 慎司



▲槍の実戦用法




▲3.4mの大杆子を、片手で持ち上げる呉連枝老師






▲たくさんの槍が揃いました

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